忘れたはずの恋
藤野君がマシンと共に帰ってくるはずなのに。
でも、それが中々、帰って来ない。

それくらい、重苦しい雰囲気がピット内で流れていた。
私とむっちゃんが帰ってきた時、チームの皆さんはまるで腫れ物に触るかのようにビクッとして、何も見なかったような顔をして目を逸らした。

皆さん、この後の展開を想像していらっしゃるようで。

…もう、藤野君に会わないで帰りたい。

「ここで逃げちゃダメですよ」

トイレに行こうとしたら何を勘違いしたのか吉田総括に腕を掴まれた。

「…逃げませんよ、トイレに行ってきます」

緊張のせいか、トイレの感覚が近い気がする。

そこの鏡で自分の顔を見て、今にも泣きそうな…情けない顔が写っている。

大バカ者が写っているわ。

こんなことになって…自業自得よ。

好きなら好きってどうして言えなかったの?
藤野君にそんな危険な賭けをさせて、そうでもしないと自分が保てないの?
いったい私は何をしているのよ!!

19歳の藤野君に重い決断をさせて、自分は逃げようとしていたんだ。

鏡の前の自分の目を見つめていると、次から次へと涙か溢れてきた。



「大丈夫?」

トイレに入ってきた女性に声を掛けられた。

藤野君のチームのシャツを着ているので今日の賭けを知っている方だと思う。

「…はい、すみません」

私はタオルで顔を拭いて頑張って笑ってみせる。

「幸平君、もう戻っているから一緒に行きましょうね。
転倒するまでは完璧なレースだったし…。
労いの言葉を掛けてあげてね」

多分、私より少しだけ年上の女性だと思うけど、女神様だと思うくらい優しい雰囲気で、また容姿も綺麗な人だった。

後で知ったけれど、この人がむっちゃんのお母さんだった。
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