イジワルな彼に今日も狙われているんです。
慰めてあげたいとか、これはそんなおこがましい気持ちじゃない。

ただ、触れたい。ただ、触れて欲しい。


……今だけです、尾形さん。今だけで、いいんだよ。



「木下……」



やはり呆然と、彼がつぶやく。

恥ずかしい。うつむいてしまいたい。

それでも私は必死で、その目から視線を逸らさないようにしていた。


ぐっときつく両手のこぶしを握りしめていた尾形さんが不意にその手を緩め、1歩2歩と、こちらへと近付いて来た。

自分から誘ったくせに、びくりと肩をすくめる。すぐ目の前に来た彼が、私の両腕を強く掴んだ。



「──ふざけんな」



降ってきた声に、身体中がこわばった。

怒気を含んだ声音で、それでもなぜか辛そうに眉をひそめた尾形さんが、私を見下ろしている。



「木下おまえ、ふざけんなよ。嘘だろうが冗談だろうが……経験もないくせに、そんなこと男の前で簡単に言うな」



真剣に吐き出されるその言葉を聞いて、カッと顔中に血が集まった。


簡単、なんかじゃない。簡単になんか、言ってない。

尾形さんは知らない。私がどれだけ震えそうになる声を抑えながらさっきの提案をしたのかを、知らない。

けれど、私には──それを自分で伝えられる、勇気がない。


尾形さんが、私から逃げるように視線を逸らした。



「……今日はもう、帰れ。駅まで送るから」



顔は背けているくせに私の右手首を掴んだ尾形さんが、そう言って歩き出そうとする。

けれども私は、渾身の力でそんな彼の手を振りほどいた。
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