ジャスティス
体を揺すられて目を覚ますと視野に広がる高い木とまだ薄暗い空。
それを遮るように顔を覗きこむ男の顔が見えた。
顔の痛みが酷く、顔をしかめながら体を動かすと雑木林の中だった。
「大丈夫かい?」
「いっ…いたっ…」
痛む体を支えられながら起こし、周りを見渡した。
自分の知らない場所に、何故いるのか。
「とりあえず、手当てをしないと」
男は体を支えて立たせると近くに落ちている鞄を持ち、ハザードを付けて停車している車まで連れていき、助手席に座らせた。
車の後部座席からウエットティッシュを取り出すと、泥の付いた顔や手をそっと拭いた。
「痛いかい?」
少し、と小さな声で呟くと男は苦笑いをした。
「見た感じは軽い打撲だと思うけれど、念のため病院で見た方が良さそうだね」
助手席のドアを閉められ、運転席に男が乗った。
車が走り出すとガシャッと音が鳴り自動的にロックがかかった。
走る道を見ながら、あぁここは何度か通ったことのある道だと気付いた。
「君、彼と喧嘩でもしたの?」
まっすぐ前を向いたまま、男は聞いた。
「白い車に乗った男が何かを捨てたのをバックミラーから見たんだ。帰りにあの場所を通ったら靴と鞄が落ちていたから、妙だと思って見に行ったら君がいたんだ」
女は少し前までの記憶を一瞬で思いだし、虚ろな目で答えた。
「もう彼氏じゃない」
急に怒り暴力を振るった挙げ句、気を失っている間に雑木林に置いていくような男なんて。
二度と顔も見たくはなく、憎しみしか感じなかった。
一緒に捨てられた鞄の中から鏡を取り出して顔を覗くと、髪はボサボサ、目蓋は腫れ唇は切れて出血していた。
暫くはお店に出れないなぁとぼんやりと考えた。
「最悪」
はぁ、と溜め息を吐くと運転する男を見た。
女はポツリポツリとなぜ、自分がこんな目に遭ったのかを話した。
男は前を見たまま、黙って聞いていたが信号が赤になり停車すると女の方を見た。
「DVは珍しくはないよ、僕の病院にもそういう患者さんがよく来るからね。結婚する前でよかったと思えば?」
「えっ…病院って?先生?」
女が男を見ると、ゆっくりと頷いて微笑んだ。
まだ若く、端整な顔立ち。
今、乗っている車もよく見れば高級と呼ばれる車種である。
運がいいのか悪いのか。
女はなんとも言えない気持ちになった。
「憎い気持ちはあるだろうけど、関わるのはもうやめた方がいい。会ってまた何かされるかもしれないからね」
再び車が走り、男は前を向いた。
女は窓に視線を移し、窓に写る男の姿をじっと見つめた。
こんな人が彼氏だったら良かったのに。
そう思い、ふと手を見ると付け爪が数個、無くなっていた。
「二度と会いたくもないし、顔も見たくないし。あんな奴、消えちゃえばいいのに」
女は溜め息を吐くと鞄からスマートフォンを取り出した。
付け爪の無くなった人差し指で画面を操作すると電話帳を表示させた。
使い慣れた名前を表示させ、編集ボタンを押すと削除を押した。
躊躇いもなく電話帳から消去された聖治の名前。
女の言葉通り、今まさに男は死への道を進んでいた。
二度と会いたくはない、その言葉通り、二度と会うことはないのだ。
小さな病院の敷地内に車が停まった。
その場所は自分もよく知っている、何度も通ったことのある道沿いに建っていた。
男はシートベルトを外すと女の方を向いた。
「歩ける?」
女は頷くと自分でドアを開けて車から降りた。
男の後に着いていくと病院の裏に位置する小さい扉に向かった。
暗証番号を入力し、虹彩認証でのロック解除。
ウィーンと鳴り、ロックが解除されると男は扉を開けた。
途端に鼻を通るアロマの香り。
レモンのような心地よい香りに包まれた。