ダブルベッド・シンドローム
専務室から社長室へ向かう間のわずかな時間に、そんな、社長との出会いを思い出していた。
社長は固いイメージはなく、かといって慶一さんのような、透明感のある爽やかさがあるわけではない。
底抜けに明るく、おおらかな人である。
慶一さんがノックをすると、社長は中から自分で扉を開けて、私たちを迎え入れた。
「おぉ、来てくれたんだねぇ、菜々子さん。久し振りな気がするねぇ。どうだったかい、初日は。疲れただろう?」
「お久し振りです。よくしていただいてます。会社が綺麗で、大きくて、驚きましたが。」
やはり専務よりも、温かみのある言葉をくれた。
普通は、近しい人は、このような言葉をかけるべきなのだ。
隣に立っている専務を、横目で見た。
「それにしてもね、嬉しかったよ。慶一から聞いたけど。DOSHIMAのことを良く知りたいって、こうして勤めることまで考えてくれていたなんて。本当に、慶一は幸せだよ。こんなにできたお嫁さんだなんて。ねぇ、慶一。」
「ええ。」
事実をねじ曲げられて伝えられていたことよりも、それよりもなによりも、専務が笑顔で「ええ」と言って、そして私に熱い眼差しを送ってきたこと、そのことに、この上ない違和感を覚えた。
私のことをできた嫁などと、彼は絶対に思っていないからだ。
そう思われる瞬間など一度たりともなかった。
彼の笑顔の正体を考えると、この熱い視線は、ひどく冷たいものに感じた。
専務は、一体何に喜んでいるのだろう。
嫁が社長に気に入られたことか、社長に気に入られた人を嫁にできることか、それか、嫁を気に入られることで、自分をも気に入られたように感じているのか。
「・・・専務にも、良くしてもらっていますよ。社長。」
そして私はなぜか、専務の背中を押すようなマネをした。
こうすることが、専務を喜ばせると分かっていたからだ。
違和感を感じているのに、こうして気をひきたくもあるのだ。
それでも、満足げな社長と、素直に嬉しそうにする専務に、私はどこか腹が立っていた。
まるで自分が、操り人形のようであった。