ダブルベッド・シンドローム
その夜、専務は書斎で仕事の続きを始めたので、私は寝室へは入らず、リビングでテレビを見ていた。
先程の、私の料理に歩み寄ってくれたことが嬉しくて、落ち着いていられず、テレビをつけたまま、ユリカに電話をかけていた。
『なによ。忙しいんだけど。』
「そう言わずに聞いてよ。やっぱり、悪くないかも。この結婚。悩みすぎだったのよね、私。」
『何、今度は何があったの。』
「週末出掛けるの。私の使う料理器具買いに。ねえ、夫婦らしくなってきたと思わない?」
『うんうん、らしくなってきたね。』
週末の約束があるから、今も書斎に籠っている専務のことを、誇らしくさえ思った。
ダブルベッドで触れ合うことよりも、買い物に行くことのほうが、夢見た夫婦生活には必要だったのだ。
それには、こうして平日に、仕事を片付けてもらわなければならない。
この夜の専務に、私は心からの拍手を送っていた。
『ねえ菜々子。仕事、どう?彼のところで勤めてるんでしょ?』
「え?ああ、全然、順調だけど・・・」
社員証のことが頭をよぎったが、それはもう、私の中で解決していた。
専務と買い物に行くことと相殺になっていた。
『ふうん。楽しい?』
「うーん、まあ、それなりには。」
『・・・そっか。』
「え?何、どうしたのユリカ。」
ユリカとは、主に恋愛の話をして、そこから関連した近況を話すことが多かったが、なぜか今日は違っていた。
『また働こうかな、私も。』
「えっ」
私はテレビを消した。
ユリカの言葉が、全く予想外であったものだから、聞き間違えかと思ったのだ。
「なんで?どうしたの?あんなに専業主婦に拘ってたのに。この間まで、確かそんな理由で、専務のこともゴリ推ししてたじゃない。」
『そうなんだけどね。なんか、ちょっと思っただけよ。』
ユリカが考え方を変えることは、私には都合が悪かった。
私にとって、ユリカは道標のような人なのだ。
ユリカはいつも、こうすればいいと断言して、そして本人もそのとおり実践しているから、私もそれを信じて進むことができた。
結婚なんて、非現実的な話が転がり込んだ私には、とりあえずはユリカの真似をすれば幸せになれる、そう思っていたのに。