ダブルベッド・シンドローム
家に戻り、焼き肉を済ませると、彼はまた書斎へと籠ってしまった。
もう私は、今日一日の進展でかなり満足しており、ユリカに電話をかけることもしなかった。
そう思うと、こうして家に仕事を持ち帰らねばならないほど、専務を私の新婚ゴッコに付き合わせることは、これ以上は気が引けたのだ。
私はキッチンに行き、ココアを淹れると、書斎へ向かった。
「専務、お仕事中、すみません。入ってもいいですか。」
『はい。どうぞ。』
すぐに中から返答をもらえて、ドアを開けると、盆に乗せたココアを彼のデスクの傍らに置いた。
「ああ、ありがとうございます。すみません、これだけ終わらせてしまいますので。」
「いいえ、私のことは気にしないで下さい。」
専務はココアを一口飲んで、私のことを見た。
部屋の電気はついておらず、デスクの照明が、専務の手元の書類を照らしていた。
「専務、お仕事、これからは会社でしていただいて大丈夫ですから。私のせいで、無理をさせてしまっていますよね。私の時間に合わせて退社するなんて、いくら社長の言うことでも、無理ですよ。平社員と専務なんですから。ね、これからは、そうしましょう。」
「いえ、そんなことはありません。持ち帰って仕事をすることも、会社にいることも、大きく違いはありません。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「専務。」
彼はおそらく、自分の感情に疎いのだった。
自分がどう感じているか、そこには主観と客観、普通の人ならどちらも感じ取れるはずであるが、専務はそれが偏っているように思えた。
自分のことは、自分の自覚と、他人の声、そこから手繰り寄せて考えるものだ。
それが偏っていると、正しく把握することはできない。
専務は間違いなくどちらかに偏っているのだが、それがどちらに偏っているか、それは私には分からなかった。
むしろ、偏っているおかげで、専務は不安定であるはずのところが、不思議と安定していた。
医療をかじっていたせいか、それは自己防衛の一種だと、見当がついた。
そして、それがあまり良いものではないことも、分かっていた。