ダブルベッド・シンドローム
「菜々子さん、どういうことですか?それは、その、僕と結婚できない、という意味でしょうか?」
「そうです。」
専務の表情を一言で表すなら、困った、というものであった。
きっとその頭の中では、私を失ったことで社長がどう思うか、そればかりを考えているに違いない。
「それはなぜですか?」
「専務は、私が結婚相手に求めている、最も重要なものを持ち合わせていないからです。専務が悪い人だと言っているわけではありません。あくまで私にとって、ということです。」
「それは、何ですか?」
「それを言う必要はないと思います。言ったところで、改善されるものではないからです。それに、それは私の基準ですので、改善しなくとも、専務を求める人は大勢いると思うんです。ですから、私と専務が合わなかっただけ、そう考えていただければと思います。」
「僕は、あなたでなくては、ダメなのですが。」
返された言葉の響きに、酔うことはなかった。
「じゃあ私もお聞きしますが、それはなぜですか?」
私は橋田部長によって荒らされたバックの中を、手を入れて整え始めた。
私の問いに対して、専務は返答に時間がかかると思ったからである。
自分が、社長への体裁のためだけに、私を選び、機嫌をとっているという事実に、自分自身で気付くといいのだ。
もしかしたら、すでにそれに気付いている可能性も十分にあるが、それならそのことを、私に対してどんな言葉で表すつもりなのか、私は聞いてみたかった。
「菜々子さん・・・。」
案の定、彼は、言葉にすることはできなかった。
「ほら、私でなくてはいけない理由なんて、ないんじゃないですか。」
「・・・そんなことはないのですが、すみません、上手く言葉が見つかりません。」
「専務が私にこだわるのは、社長が私にこだわっているからですよ。それ以上の理由はないはずです。・・・いえ、ごめんなさい、別に、それをダメだと言っているわけではありません。でも専務には、「それ」だけなので、それだけなのでは、さすがに私は嫌になります。」
「菜々子さん、」
「私はもう、今日は帰らせていただきます。社長には、どうぞ専務のお好きなようにお伝え下さい。荷造りをして、夕方には部屋を出ていきますので。会社にはご迷惑をかけてしまいますが、申し訳ないですけど、続けていくことは無理そうです。すみません。」
駆け足で会議室を出ていき、エレベーターに乗ったが、専務は本当に追いかけては来なかった。