ダブルベッド・シンドローム
一階に到着したエレベーターを降りたあと、駆け足でエントランスをくぐり抜けていくと、受付のお嬢様方が、私を指差して「ほら」と言い合っていた。
それに構う暇はなかったが、それは、総務部での騒ぎが、このエントランスの受付嬢の耳に入るまで、すでに伝言ゲームのように繋がっているということを、嫌でも感じとることとなった。
私の周りは静かであったが、会社内では私の話がいつも駆け巡っていたのかもしれない、そう考えると、この建物から一刻も早く離れたくなった。
「あ、そうだ、慶一に会っていくかい?」
その声が聴こえたのは、エントランスを出てから建物に沿って歩き、裏のロータリーに出たときで、その声は社長の声だとすぐに分かった。
ちょうど社長が戻ってきたのだろう、私は建物の柱の影に隠れ、鉢合わせにならないよう息を潜めた。
一緒にいる人が、一瞬だけ視界に入ったが、着物姿の女性であった。
「いいわ。別に用事もないもの。」
「そんなこと言わずに、なかなか頑張ってるよ、慶一は。役員たちも、次期社長ってことで、皆賛成してるんだ。きっと今、専務室にいると思うんだけど、寄っていったらどうだい?」
「いいって言ってるでしょう?会いたくないのよ。わざわざ言わせないで頂戴。」
女性の声は、冷たくて、刺すような、艶のある声だった。
若い声ではないが、うちの母のような、近所のおばちゃんというには洗練され過ぎた話し方であり、それは社長の「奥様」の声に相応しかった。
「私は認めてないけど、あなたは諦める気がないのはもう分かったわ。もう好きにして、あの子が誰と結婚しようが、それは私にはどうでもいいもの。ただ、堂島の名を汚さないように、それだけは気を付けて頂戴。」
「もちろんさ。お相手は、とても良いお嬢さんだよ。」
「どうかしらね。あなたがその方に何をそんなに入れ込んでるのか知らないけれど、二十歳そこそこの女なんて、どの子も褒められたものじゃないわよ。何か目を引くところがあったんでしょうけど、それは全然、あてにならないんだから。」
「どうしてだい?」
「偽りなのよ、全部。結婚するためなら、平気で自分を偽るのよ、女なんて。あなたはそれを見破れる人間じゃないわ。そうじゃなければ、私と結婚なんてしなかったでしょうに。」
「ははは、言うねえ。」