ダブルベッド・シンドローム
彼女は話はするも、私の名前すら聞いてはこなかった。
私は慶一さんが嫌な思いをするようなことがないように、要らぬことをわざわざ言うつもりはないのだが、それでも、一言ガツンと言ってやりたくもなった。
何を言ったらこの人の脳に焼き付けるような言葉となるのか、私は考えたが、それはこの人が本当に慶一さんのことを純粋に嫌っているのか、それとも複雑な気持ちの集合体なのか、それによって違い、そしてそれを見誤って発言すれば、二人の関係を脅かすリスクがあった。
どちらであっても、リスクがない発言に限定した。
「慶一さんは本当に素敵な方で、慶一さんと結婚できるなんて、夢みたいです。」
慶一さんを誉めちぎることは、リスクなく、彼女を脅かすことができると思った。
「・・・。」
ところが、彼女は何も答えなかった。
「あの、お母さま?」
「・・・ええ、ごめんなさい、何だったかしら。」
着物の裾がゆらゆらと揺れていて、足元も頼りなげに、草履にしっかりと体重が乗っていないように見えた。
「あの、大丈夫ですか?ご気分でも悪いのですか?」
私が彼女の腕に手を添えると、慶一さんは焦ったように私に「どうかしたのですか?」と声をかけるが、おそらく元看護師である私がそれらしい動きをしたから、心配になったのだ。
「お母さま?」
支えていた私の腕に、だんだんと体重を乗せてくるものだから、さすがにまずいと思い、大丈夫ですか、ともう一度声をかけようとしたところで、彼女はついに倒れた。
私の体に向かって倒れてきたため、どうにか支えながら静かに体を倒すことができたが、それを目にした慶一さんは当然ながらパニックになった。
「母さん!?どうしたんですか!?」
周囲にいた人は、一気に騒ぎだし、私たちを中心に小さな円くらいの距離をとったものの、その外側には餌を見つけた蟻のように集まってきた。