ハロウィン
「ハッピー・ハロウィン!」
黒い不気味な帽子を被った若い女性がニコニコしながらそう叫んでいる。
今日は10月30日。
ハロウィン前日だ。
俺は珍しく一人で『人の世』に来ていた。
先生のお宅は『彼の岸』と『此の岸』の境にあり、『モノノケの世』でもなく『人の世』でもないらしい。
だが、俺にはそれがよくわからない。
それでもいいと先生は笑んで言う。
『わからなくてもいいのです。ですが、この世界には幾つかの【世】が確かに存在している。そのことは頭の片隅に置いておくといいですよ』
さて、それを聞いたのはいつのことだっただろうか?
俺はそんなことを思い起こしながらとある古びた一軒の骨董店に立ち入った。
人気のない古びた骨董店の中はいつも独特な香の匂いで満たされている。
嫌な匂いではないがとにかく独特だ。
「・・・こんにちは」
俺は襤褸い座布団の上でグーグーと眠りこけている毛むくじゃらの老犬にそっと声をかけた。
その老犬の垂れた耳がピクリと動く。
「ん?・・・ああ。・・・いらっしゃい。・・・今日は何の用かな?」
しわがれた声でその老犬はそう言うとモソモソと起き上がり、大きな欠伸を遠慮なく繰り出した。
「・・・先生の使いで参りました。・・・伺えばわかるとのことだったのですが・・・」
俺の言葉にその老犬は小首を傾げ「はて?」と呟いた。
モノノケでもボケることがあるのだろうか?
「・・・ああ、わかった。・・・アレのことだな。少し、待っていなさい」
老犬はそう言うとテトテトと店の奥に消えて行き、俺はその場に一人、取り残されてしまった。
ふとその背中に視線を感じる・・・。
「・・・珍しいね。アンタ、本当に人間かい?」
そう問うてきた声は随分と剽軽なものだった。
俺はその声のした方をゆっくりと振り返った。
その先には黒く古い招き猫の置物が置かれているだけだった。
「・・・人と言えば人なんでしょうね。・・・一応は」
俺はその招き猫にそう言った。
「面白い言い回しをするな」
黒い招き猫はそう言い返してくると挙げていた片方の腕を下げ、小さな溜め息を吐き出した。
「最近の人間はつまらない者ばかりかと思っていたがどうやら違ったらしい」
招き猫のその言葉に俺は数回瞬いた。
「・・・待たせたね。おや、福時【ふくとき】。随分と久しぶりじゃないかね」
店の奥から出てきた小さな老人はそう言うとにこりと微笑んだ。
犬の姿から化けたか・・・。
俺はそう心の内で呟いてそのよぼよぼした老人をそっと見つめ見た。
確かにあの老犬の面影はあるが何も知らない人間ならあの老犬とこの老人が同じモノだと言うことに気づくことはないだろう。
モノノケはいつも『人の世』の中に溶け込み、ひっそりと暮らしているのだと先生は言っていた。
「久しぶりだね。面白い人間と知り合いじゃないか、三七【さんしち】」
三七と呼ばれたこの店の店主は「ホッホッ」と笑い、俺に何かを包んでいる一つの風呂敷をそっと差し出した。
「これを旦那に」
『旦那』。
それは先生を指す言葉だ。
俺はその風呂敷に包まれている何かを慎重に受け取った。
「・・・確かにお預かり致しました」
俺はそう言い頭を下げ、独特な香の匂いで満たされている店を出た。
店の外ではまだあの黒い不気味な帽子を被った若い女性がニコニコしながら『ハッピー・ハロウィン!』と叫んでいた。