ホテル王と偽りマリアージュ
こっちに目を向けないのに気配で感じたのか、一哉は「いい」と短い言葉で私を制した。


「節電……のつもりなの?」


スイッチに伸ばし掛けた指を引っ込めながら訊ねると、一哉は相変わらず書類を見たまま、クスッと口元で笑った。


「たいした経費削減にはならないだろうけどね。ああ、椿。時間に余裕があったら、その辺のオフィス経費調べて報告してくれる?」

「うん。……そんなに時間かからないと思う」


私の返事に『助かる』と一言言って、一哉は黙り込んだ。
私もなにも言えないままだったから、薄暗い執務室にちょっとぎこちない沈黙が過る。


先に焦れたのは一哉の方だった。
ふうっと唇をすぼめて息をして、手にしていた書類を広いデスクに軽く放った。


「で、なに? わざわざここに来るってことは、仕事でなにか困ったことでもあった?」


書類から目を離しはしても、一哉の視線はまっすぐ私に向けられない。
普段はただの一社員でしかない私が、直々に一哉の執務室を訪れるような仕事の話があるわけないとわかってるくせに。
ここがオフィスのせいか、一哉はそう訊ねてくる。


私は大きく深呼吸をして、一気に距離を縮めるべく、一哉のデスクの目の前まで歩み寄った。


「ある意味、仕事。私の今の役割について」


ちょっと緊張しながら早口でそう言うと、一哉はようやく私に目線を上げた。
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