ホテル王と偽りマリアージュ
「それになんか、やけに椿に構ってたし……」


そう言って肩を竦めながら、一哉がエレベーターのボタンを押した。
まさに私たちが乗って下りてきたエレベーターのドアが開く。
先に乗り込んでいく一哉から、私はそっと目を逸らした。


帰り際、一哉に気付かれないように、要さんが私に耳打ちした言葉。


『愛してない男の為に愛されてる演技なんて、そんなことして君になんの得があるの』


要さんは気付いてる。
私と一哉の結婚が偽物だってことを。
それを一哉に伝えるべきだと思うのに、私はなぜだか躊躇した。


『バレたら意味がない』


一哉に言われたその言葉が胸に蘇ってきて、私は自分の保身に走ったのかもしれない。


要さんが見抜いてるにしろ、私たちは一年間夫婦のフリをする必要がある。
要さんにはバカにされるかもしれないけど、私にも一哉にも理由があるから契約したのだ。
得はなくても、私にもこの結婚に踏み切った意味がある。


私も一哉も無言のままで最上階に着き、エレベーターのドアが開いた。
外に降り立つと、一哉が玄関の鍵を開けながらそっと私を振り返った。


「椿。なんかずっと黙ってるね。もしかして俺が外してる間に、要になんか言われた?」

「えっ?」


思い悩んで俯いていた私に、一哉のちょっと憚るような声が降ってくる。
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