ホテル王と偽りマリアージュ
「一哉が出張中でも、椿さん一人でお務めなんだね」


からかうような声が掛けられ、私は反射的にビクンと身体を震わせた。


ゴクッと唾をのみながら振り返ると、この間訪ねて来た時とは違い、黒いシックなスーツでビシッと決めた要さんが、口元に手を遣りながらクスクス笑っている。
その姿を確認した途端に、全身に警戒心が走った。


「こ、こんばんは」


顔を強張らせ、一歩後ずさりながら挨拶だけする私に、彼はわずかに眉を寄せる。


「そんなに警戒しなくても、取って食ったりしないから。で、一応褒めておくよ。そういうドレス着ると、椿さんもなかなかセクシーに見える」


細めた瞳から向けられる視線をまっすぐ胸元に感じて、私は反射的に手を遣って隠した。
あまりの居心地悪さに顔を背ける。


ただでさえ、一哉がいなくて心細さを感じながらのお務めなのに、こんなとこで要さんと鉢合わせするとか。
神様はどこまでも私に意地悪だ。


「一哉の方、仕事順調?」

「え? 多分……」


いきなり普通に話題を振られて、一瞬無防備にそう返してしまった。
そんな私に、要さんは首を傾げる。


「一緒に行くのは諦めたにしても、毎晩電話くらいしてくるんじゃないの? まさか、メールすらないとか?」

「あっ……!」
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