ホテル王と偽りマリアージュ
私も一哉が一緒にいる時だけじゃなく、気を付けるべきだった。
要さんの前で無防備になった自分を、そう強く戒める。


「次の出張からは、時々電話するようにする。……って、椿には迷惑かもしれないけど」

「そんなことないよ」


耳をくすぐる一哉の声に、私は笑いながらそう答えた。


「電話、嬉しいよ」


素直に告げた私に、一哉が小さく笑ってるのが感じられた。
「サンキュ」とお礼が返ってきて、なんだかやっぱり甘酸っぱい気分になる。


やがて一哉はオフィスに到着したのか、周りの騒音が治まった。
『じゃあ、お休み』という声を最後に、電話が切れた。


たった今までニューヨークと繋がっていた電話を、軽く宙に持ち上げて眺めながら、私は再びお湯の中に肩まで深く浸かった。


私と一哉の間には、それ以上は踏み込めない確かな一線がある。
お互いにいつもそれを意識して、その一歩手前までしか歩み寄らずにいた。
それでよかったはずなのに。


土曜日、要さんに揺さぶられて、私と一哉の意識は微妙に変化し始めている。
お互いの心の奥底を探り合う、そんな感覚。


一哉の言葉から感じ取れる独占欲を、彼に自覚させようとしてる。
意地悪な駆け引きを仕掛ける私が確かにいる。


私たちの契約に『不必要』な感情。
そうわかってるのに、引き出そうとする理由――。


それを、私は誤魔化した。
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