ホテル王と偽りマリアージュ
その言葉を聞いた後の彼の行動をリアルに思い出して、私の胸がドキンと跳ねた。


『契約じゃなくて、本物の結婚にしちゃえばいいのよ』


芙美の言葉に煽られるように、心臓がドキドキと騒ぎ出す。
一瞬グラッと揺れそうになって、私は思わず胸に手を当てていた。


なにをバカなことを考えてるの。
一哉が私に求めたのは契約。
愛し合う夫婦というのはあくまでも演技。
周りを欺く為に必要なことだ。


なのに、人前だけで演じていればよかったはずが、日常生活にまで侵食してきている。
私と一哉の間に漂う空気の微妙な変化は、そこからくる混乱だ。


そう、それだ。混乱。
混乱してるだけだから。


フリとは言え、四六時中夫婦でいれば、それが真実のように思えてくる。
そこに愛情があるように錯覚する。
私は一哉の物じゃないのに、彼の独占欲を刺激してしまう。
そして私はそれを垣間見る度にドキドキして、なにが本物かもわからなくなっていく――。


惑わされちゃいけない、と言い聞かせながらも、『もしかしたら』と淡い期待を抱く自分もいる。


ふと気付くと、芙美は私の返事を待たずに自分の仕事に戻っていた。
私も一度頭を振って、余計な雑念を振り払う。
デスクに広げた請求書に視線を落とし、支払いの手続きを進めながら、なるべく自分の左手を意識しないように心掛けた。
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