猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
しかしグレースとて、右も左もわからない若い娘ではなかった。曲がりなりにも三十年あまりの間、王宮近くに身をおいていた王女なのだ。

まずは母の教えどおり、目立たず騒がずひたすら聞き役にまわり、相手に人畜無害な者だと思わせることに徹する。懐を開く時期を見誤らないよう、慎重に慎重を重ねていた。
だから今のところ、ラルドの心配は杞憂にすぎない。

「違うの」

グレースは恥ずかしそうに俯き、胸に手のひらを当てる。

「祝宴やお茶会が続いたせいかしら、少し太ってしまったみたいで」

コニーが作った礼服はとても着心地がよく気に入ったので、普段の服も何着か誂えてもらったのだが、それが最近心持ち窮屈に感じるのだ。

いま都ではベリンダ王妃の祖国で一般的だという、砂糖を大量に入れた茶が流行っていた。一緒に出される茶菓子も、砂糖をかじっているのではと思うほど甘い。
最初は辟易していたグレースだったが、不思議なことにこれが慣れると癖になる。摂り過ぎはよくないと思いつつ、つい手が伸びてしまっていた。その結果だろう。

「きっと食べ過ぎなのね。ときどき胸焼けもするし」

「医師に診てもらったほうがいいのではありませんか?」

胸をさするグレースをラルドが気遣い、孤児院行きを止めさせようとする背後で、マリとドーラが目を合わせて頷いた。

「奥様、それはきっと……」

一歩前に出たドーラのいつも厳しい表情が和らぐ。

「一度、お医者様か産婆にきていただこうと考えていたところです」

「……産婆?」

いままで縁のなかった単語に戸惑う。

「はい。まだ私どもでは確かなことは申せませんが、グレース様はご懐妊なさっているのではないかと」

「わたしに?子どもが!?」

忙しくて忘れていたわけではない。ただ、悩みすぎてもよくないと、長い間不妊に苦しんだマクフェイル男爵夫人からの助言もあり、なるべく考えないようにはしていた。周囲からも、まだ一年経っていないのだから、と言われていたのもある。

グレースは妊娠の実感が湧かずに、まだあからさまな変化のない下腹部を見下ろした。その肩にラルドが手を置く。

「やはり今日の外出は中止にしましょう。ドーラ、さっそく医師の手配を頼む。マリは先方へ慰問中止の連絡を」

ラルドは淡々と指示を出す。最後にグレースには、とにかくおとなしくしているよう言い置いて、部屋から出て行ってしまった。


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