猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁


徐々に丸い全貌を現した月は、夜空を背景にゆっくりと窓の中を進む。

どのくらい時が経ったのだろうか。そろそろグレースの細い首が痛みを訴え始めたころ、金色の欠片は完全に窓枠の向こうへと消えた。
まだほんのりと月光が残る天窓に向け、ため息を吐き出す。もちろんそれが、天井に描かれた神々の元にまでは届くはずもなかった。

ぎちぎちと音がしそうなほど凝り固まった首を上下左右に振り、正常に動くことを確認したグレースは、痺れて痛みも冷たさも感じなくなっている膝を庇いながら立ち上がる。儀礼用に即席で誂えた薄手の衣装がたてるささやかな衣擦れの音が、静まり返った太陽の間に響いた。

感覚の乏しい足で慎重に歩を進めていく。広間の中央から出入り口のある扉までの距離がやけに遠く感じられ、グレースは途中で一度立ち止まった。すると途端に冷気が身体を包む。ぶるりと震えた自身を両腕で抱えるようにして再び歩き出す。

時間をかけて辿り着いた扉の前でもう一度、自分が祈りを捧げていた場所を振り返った。月明かりが差し込まなくなったそこは、一段と闇を濃くしたように見える。

月の女神に願ったのは、自分が嫁いだ後も母の穏やかな暮らしが守られるように。イワンにとっては肖像画でしか顔を知らない祖父の側室という、微妙な位置にいるキャロルが粗末に扱われないことを切に祈る。
もっとも、グレースがヘルゼント家の嫁としての務めをしっかりと果たせれば、ラルドがキャロルを無下に扱うことはないはずだ。

決意を胸に、グレースは扉に手を伸ばす。だがその手がそれに触れることなかった。
祈祷の間は何人たりとも中に入ってはいけないことになっている。内側にいる者が望まない限り開かれることはないはずの扉が、ゆっくりと外に向かって動く。

「……なんで?」

驚くグレースの目の前に男の顔が現れた。廊下を照らす燭の頼りない灯りに浮かんだ顔は、彼女と同じように目を丸くしている。

「どうやら、間に合わなかったようですね」

立ったまま固まるグレースに、小さく肩を竦めてみせた。
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