猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
そういうことか。得心がいったラルドは、呆れとも安堵ともつかないため息をつく。

「セグバー子爵夫人は勘違いされたのだと思いますよ。マクフェイル男爵夫人はもともと……その、少し……体格が良い方なのです」

女性に向けて使う言葉選びに苦労する。つまりは、子爵夫人が見た腹の中身の大部分が、赤子のせいではなく自前ということなのだ。

「以前、男爵が愚痴をこぼされていました。彼の奥方の身支度は、普通の女性の倍以上時間と人手がかかるのだ、と」

「えっと、じゃあ、あの見事なくびれは……」

「彼女の努力と根性の賜物でしょうね。まったくもってご苦労なことです」

細い腰を作るために並々ならぬ苦労をしている男爵夫人が信じられないといったふうに、グレースは自分の腰回りを見下ろしている。無理に締め付けなくても十分に細いそれを、ラルドは片手で引き寄せた。

「それにもし、くだらない噂話が真実だったとしても、あいにく相手は僕ではありません。彼女とそういう関係はないのでご安心を」

「そんなこと、信じるとでも?第一、ほかにだって……」

誤解を解いてもなお不満そうに顔を背けられてしまう。仕方なくラルドは、彼女の小さな顎を摘まみこちらを向かせた。

「グレースが心配することなど、なにもありませんよ」

妻の不安を取り払うため、精一杯の微笑みを添え甘く説く。

「ありえない話ですが、万が一どこかに僕の子がいたとしても、このヘルゼント家を継ぐのは、王家の血筋である貴女が産む男子なのですから」

言い終わるかどうかというそのとき、乾いた破裂音とともにラルドの左頬を激痛が襲う。それがグレースの手から生み出されたものだと気づくころには、じわりと熱を持ち始めていた。
痛みと衝撃で唖然と頬を押さえるラルドを、寝台から立ち上がったグレースが肩を怒らせ、翠玉のように冴えきった瞳で見下ろしている。

「恥を……、恥を知りなさいっ!」

青筋を立て血の気の引いた白い顔で言い放つと、グレースは裾を翻して寝室を出て行ってしまった。

「あ、グレース様!どちらへ」

「ただの散歩よ!ついてこなくていいわ」

彼女が開け放った扉の向こうで、戻ってきたマリとの会話が聞こえてきた。

放心状態からやっと回復したラルドが寝室から出ると、用意してきた香茶をどうしたものかと悩むマリだけが残っている。ジムもグレースの後を追って出て行ってしまったらしい。

「それは僕がもらおう」

苦笑いを浮かべたラルドが椅子に腰を下ろす。その片頬が赤くなっていることに気づいて、マリは悲鳴を上げた。

「旦那様!いったいどうなさったんですかっ!?今、冷やすものを取って参ります」

茶と焼き菓子ののった盆を卓の上に放置すると、大慌てで階下へと走り去っていく。ラルドは置き去りにされた皿の上の、周りが焦げている焼き菓子をひとつ摘まんで口に放り込む。

「……ずいぶんと苦いな」

喉に張り付くようなそれをやっとの思いで飲み込み、眉間に深くシワを刻んだ。


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