猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
*猫にマタタビ、嫁にキス
吐き出したため息が濃い酒気を帯びていることに、ラルドは自分でも気がつく。人払いを頼んだ薄暗い個室には、手酌で酒を注ぐ音だけが絶えず続いていた。

突然前触れもなく扉が開かれる。無遠慮な振る舞いにラルドが眉をひそめるより早く、アントニーは空いている椅子にどさりと腰掛けた。
こう簡単に他者の侵入を許すようでは、今後この店を使うのは考えたほうがいいかもしれない。ラルドは、娼館にとっては死活問題ともいえることを考える。

「貴方を招いた覚えはないのですが?」

酒杯から目も上げず不機嫌に問えば、アントニーは勝手に自分の酒を注ぎながらふふんと鼻を鳴らす。それが余計にラルドの気持ちを逆撫でした。

「ひどくご機嫌が斜めだな。こんなところで独り酒なんかしている場合じゃないだろう?」

「誰が帰りづらくしたと思っているんです」

杯の縁に口をつけ、勢いよく酒を喉に流し込む。すでに水同然で味などしないが、呑まずにはいられない。

王宮ではラルドが懸念したとおり、メアリーたちの誤解が広まり、あちらこちらから祝いの言葉をかけられてしまった。それに対していちいち訂正をしなければならず、いい加減辟易している。
さらには気の早い者が屋敷にまで押しかけ、グレースの虫の居所をいっそう悪くさせているのだ。

だから、

「そんな噂、一日も早く事実にしてしまえばいいだけではないか」

などと気楽に言うアントニーには怒りさえ覚える。

「……それができれば、こんな場所にはいません」

酔った口が漏らしたラルドの独り言は、耳聡い彼にものの見事に拾われてしまう。アントニーは格好の酒の肴をみつけたとばかりに眼を細め、にやりと口の端を上げた。

「結婚半年足らずにしてもう倦怠期とは穏やかじゃないな。いったになにをやらかしたんだ?」

「……別になにも」

ラルドとしては、グレースが己の立場を不安に思ったのだろうと推測したからこその、あの発言だった。それなのに返ってきたのは予想外の手酷い仕打ちで、困惑するばかり。
あの日以降、床を別にされるのはもちろん、会話さえまともに交わしてもらえない状態が続いている。

「そんなものは夫婦なのだから、多少強引にでも」

「ジムのヤツが邪魔をするんですよ」

忌々しげににっくき相手の名を口にした途端、アントニーは目を見開く。
< 63 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop