猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
◇
ミスル湖畔の林を訪れたグレースは、その中に突如として現れた立派な温室に目を瞠る。ここまでの規模の施設は国中を探してもそうないであろう。
あんぐりと口を開け見上げた屋根は、穏やかな日差しを目一杯に受けてキラキラと輝く。王城にもいくつか温室はあるが、屋根にまではガラスを使っていなかった。
「あちらにも誰もいなかったです」
温室に鍵がかかっていたため隣接する小屋をマリが訪ねてみたのだが、やはり応答はなかったようだ。弱り顔で戻ってきた。
「やはり先に知らせをやって、翌日になさればよかったのではないですか?」
街道からここまで歩かされたことが不満らしいが、伯爵家が用意した馬車が大きすぎて、林の中には入れなかったのだから仕方がない。グレースとしては、小鳥の囀りを聴きながら新緑の中を進んで、気持ちのよい経験ができたと思うのだが。
「白薔薇館までひとっ走りして、誰か連れてくるか、鍵を借りてきましょうか?」
護衛としてついてきた若い従僕は、グレースが固辞したために引いてきた馬の背にひらりと跨がった。
「ちょっと!こんな場所に奥様を置き去りにするつもりなの!?危ないじゃない‼」
息巻いたマリをグレースが制する。
「それほど離れていないのでしょう?せっかく来たのだもの、中を見てみたいわ。ここで待っているから、行ってきてちょうだい」
「承知しました。この辺りは治安も悪くないし、昼間は危険な動物も出ないはずです。すぐに戻って参りますので、気をつけてお待ちください」
気休めに短剣をマリに預け、従僕は木々の隙間を馬で抜けていく。館までの近道を知っているらしい。ものすごい勢いで、その姿は見えなくなった。
彼が帰ってくるまで温室の周辺を見て回る。大きな窓からは中の様子を覗くことができた。
確認できる範囲だけでもたくさんの苗木がある。ほとんどは薔薇のようだが、株の大きさはまちまちだ。
その一角に、あの薔薇の花をつけた株が集まっているのが見えた。満開の花からまだ堅そうな蕾まで様々だが、そこだけ季節が一足早く進んでいるような光景は、グレースの記憶からあの夜の香りを引出させる。
思わず窓から目を背けた視線を木立の中へと移した。
瑞々しい若葉をつけた枝は、少しでもたくさんの日差しを浴びようと天に向かう。その手から逃れた光が筋となって地面に届き、小指の先にも満たない小さな花を照らしだす。
この風景を切り取って部屋に飾り、長い冬の間中眺めながらやがて訪れる春を待ちたい。そんな気にさせるくらい、この森は生気に満ちあふれていた。
ミスル湖畔の林を訪れたグレースは、その中に突如として現れた立派な温室に目を瞠る。ここまでの規模の施設は国中を探してもそうないであろう。
あんぐりと口を開け見上げた屋根は、穏やかな日差しを目一杯に受けてキラキラと輝く。王城にもいくつか温室はあるが、屋根にまではガラスを使っていなかった。
「あちらにも誰もいなかったです」
温室に鍵がかかっていたため隣接する小屋をマリが訪ねてみたのだが、やはり応答はなかったようだ。弱り顔で戻ってきた。
「やはり先に知らせをやって、翌日になさればよかったのではないですか?」
街道からここまで歩かされたことが不満らしいが、伯爵家が用意した馬車が大きすぎて、林の中には入れなかったのだから仕方がない。グレースとしては、小鳥の囀りを聴きながら新緑の中を進んで、気持ちのよい経験ができたと思うのだが。
「白薔薇館までひとっ走りして、誰か連れてくるか、鍵を借りてきましょうか?」
護衛としてついてきた若い従僕は、グレースが固辞したために引いてきた馬の背にひらりと跨がった。
「ちょっと!こんな場所に奥様を置き去りにするつもりなの!?危ないじゃない‼」
息巻いたマリをグレースが制する。
「それほど離れていないのでしょう?せっかく来たのだもの、中を見てみたいわ。ここで待っているから、行ってきてちょうだい」
「承知しました。この辺りは治安も悪くないし、昼間は危険な動物も出ないはずです。すぐに戻って参りますので、気をつけてお待ちください」
気休めに短剣をマリに預け、従僕は木々の隙間を馬で抜けていく。館までの近道を知っているらしい。ものすごい勢いで、その姿は見えなくなった。
彼が帰ってくるまで温室の周辺を見て回る。大きな窓からは中の様子を覗くことができた。
確認できる範囲だけでもたくさんの苗木がある。ほとんどは薔薇のようだが、株の大きさはまちまちだ。
その一角に、あの薔薇の花をつけた株が集まっているのが見えた。満開の花からまだ堅そうな蕾まで様々だが、そこだけ季節が一足早く進んでいるような光景は、グレースの記憶からあの夜の香りを引出させる。
思わず窓から目を背けた視線を木立の中へと移した。
瑞々しい若葉をつけた枝は、少しでもたくさんの日差しを浴びようと天に向かう。その手から逃れた光が筋となって地面に届き、小指の先にも満たない小さな花を照らしだす。
この風景を切り取って部屋に飾り、長い冬の間中眺めながらやがて訪れる春を待ちたい。そんな気にさせるくらい、この森は生気に満ちあふれていた。