猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
獣道よりはややしっかりした道が林の奥へと延びていた。
目の前に現れた一匹の白い蝶が、ひらひらと舞い小道へ誘う。グレースは引き寄せられるように、その後を追おうとした。

「奥様、どちらへ行かれるのです?」

ふらふら歩き始めた主人をマリが捕まえる。最近の彼女は、ドーラやカーラに影響されたのか、やけに口うるさくなっていた。

「蝶が……」

「そんなの、あっちこっちにいるじゃありませんか」

指摘を受け周囲を見渡せば、白だけでなく黄色や空色、黒っぽいものなど多種多様な蝶たちが飛び回り、あるいは葉陰で羽を休めている。もう一度小道に目を向けても、あの白い蝶はもういなくなっていた。

「あの人、まだ戻ってきませんね」

探検に飽きたマリは従僕が消えた方向を見やるが、馬影も人影も現れない。ぺたんと切り株に腰を下ろしてしまう。

太陽はまだそれほど動いていないからたいして経っていないのだろうが、こうのどかだと時間の流れが緩やかに感じられる。
いつの間にか、ため息をつき項垂れたと思っていたマリが、脇に積まれた薪の山に寄りかかって居眠りを始めていた。

無理もない。昨日は主人に付き合わされて、慣れない畑仕事をしたのだ。それでも、多少の朝寝坊を許されたグレースと違い、彼女はいつも通り早く起きて自分の仕事をきちんとこなした。そのうえここまで歩かされては、疲れて眠たくもなる。

グレースは羽織っていた肩掛けを、起こさないようそっとマリにかけてやった。日差しは暖かくても空気は清涼で、このままでは身体を冷やしてしまう。

反対に薄着となったグレースの意識は、すっきり冴え明確さを増す。その彼女の周りに、また白い蝶がやってきた。顔の前を上下しながら行ったり来たりするので少々鬱陶しくも思い始めるが、小さな羽が作るごくごく僅かな風の中から、あの薔薇の香りがした気がして瞠目する。

もしかしたら温室から届いたのではないか。しかし、すべての戸も窓も閉まっているのは確認済みだった。

すると今度は、小道を抜けてくる風がもっとはっきりとした薔薇の香りを運ぶ。

マリはよく寝ている。道があるなら迷うことはないだろう。

グレースは林の中へと足を踏み入れた。
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