猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
小道は迷いようのない一本道だった。ただ途中から登り坂になっており、王宮育ちであるグレースの細い脚には少々辛い。息を切らし立ち止まると、薔薇の香りが彼女を呼ぶ。

それを何回か繰り返すうち、火照ってきた頬を撫ぜる風に、薔薇とは別のものも混じるようになった。

林を抜けた途端に視界が拓ける。高い木立の代わって、グレースの前には薔薇の群生が出現した。
その奥。終着点と思われる場所にあったもの。

「……墓標」

小高い丘の頂上にふたつ並んだ白い石柱が、日の光を反射させていた。教えられなくても、誰のものだか分からないはずがない。
ロザリーとフィリスのものだ。

ふたりの墓を守るように、青葉と鋭い棘を生やした薔薇の木が辺りを取り囲んでいるが、道は真っ直ぐそこまで続く。左右の木をみても、どれひとつとして花どころかまだ蕾さえつけていないのに、香りは強くなる一方だった。

グレースは墓碑の前まで来て、そこで香りの源を知る。ロザリーの名が刻まれた墓石脇に生えるひと株の薔薇が、たった一輪だけ花を咲かせていた。
婚礼の日に届けられたものよりさらに凜と美しく、孤独に負けず咲く薫り高い薔薇の花。

それにしても、いくらほかの薔薇より強いとはいえ、一輪分の香りが風に乗ったくらいで温室まで届くとは信じ難い。

不可思議な思いのまま花から顔を上げたグレースは、墓標の向こう側を望んで息を呑む。
眼下には、空が落ちてきたのかと見紛うばかりに青い湖が広がっていたのだ。

ぷかりと浮かぶ白い雲までもが映り込んだ静かな湖面。それが硬質な鏡でない証拠に、ときおり水鳥が水面に切り込みを入れて通る。
今まで城に造られた池が最大の『水たまり』だったグレースにとって、あり得ない大きさだった。薔薇の香りに混じっていたのは、大量の水が産む湿気と匂いだったのだと悟る。

しばし見惚れてしまった青く澄み渡る湖面は、ラルドの瞳を思い出させた。

「だからなの?フィリス」

新しい方の墓標に手を添え語りかける。

自分を映してくれない瞳の代わりに、この青い湖へその身を沈めたのか、と。

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