好きにならなければ良かったのに

「あの、香川さん。大石さんはどこに配置されるんでしょうかね?」
「さあ、その時が来ればわかるさ。それより、大石に負けないように頑張れよ」
「はい、頑張ります」

 研修最終日、美幸は会社を欠勤し佐々木一人だけ大事な研修を受けることになる。
 美幸を部下に欲しがっていた香川だが、やはり女は仕事を軽んじ休む傾向にあると思うと、幸司へ希望していた件は取り下げようかと思い始める。

 「暫く、様子見か?」と、そう呟く香川は会議室へと入って行く。

 一方、黙々と仕事を続ける晴海は、課長デスクに幸司の姿がない事に苛立っている。幸司一人だけならばここまで気分が高ぶることは無い。しかし、妻である美幸までもが欠勤となると話は別である。

「ちょっと、相田さん。これなによ! これ来週お客様にプレゼンするのよ! 頼んでいたのと全く違うじゃないの!」
「いいえ、お得意様から送られてきた資料からそのまま作っていますよ」
「何言ってるのよ、数字がメチャメチャよ」
「資料にはその数字が書かれていますよ」
「私が指示した数字とは違うじゃないの。私は直接お客様から依頼されているのよ。ちゃんと私が言った通りにやってくれなきゃ困るでしょ!」

 まるで小姑のヒステリーの様な晴海に、営業部一課にいた皆が驚きで目を丸くして相田とのやり取りを見ている。周囲からの視線を浴びていると気付くと、晴海は周りを見回し更に眉間にシワを寄せて怒鳴る。

「何を見ているの?! さっさと自分の仕事を続けなさいよ!」

 晴海のとばっちりを嫌った他の社員らは皆知らん顔をして自分の仕事へと戻る。そんな中、吉富だけが晴海を見てクスクス笑っている。その表情は実に厭味を含めた笑いの様で、晴海はそれが何を意味しているのか察知すると、美幸に幸司を横取りされた気分で余計に腹立たしくなる。

「笑ってないで仕事しなさいよ」
「いやね、怒った顔の晴海ちゃんも可愛いと思ってね」
「……」

 吉富の神経は異常ではないのかと思いたくなる程、晴海に関しては柔軟だった。晴海が何を言おうが何をしようが、吉富は常に笑ってその様子を見ている。そんな吉富を相手にすると余計に神経が苛立ち晴海は落ち着かない。

 幸司に早く戻って来て欲しいと晴海は何度も課長デスクを見るが、そこには幸司の姿はない。遅刻すると連絡が入っていた営業部一課だが、その日の午前中、幸司が課長デスクへ戻る事は無かった。

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