好きにならなければ良かったのに
皆が幸司の周りに集合し残るは晴海だけになる。のらりくらりと椅子から立ち上がり課長デスクへとやって来る晴海の動作はかなり遅い。ワザと困らせる為にやっているとしか思えないその態度に、幸司は午前中に美幸と病院へ向かう車中での出来事を思いだしていた。
『私、てっきり昨夜はその……彼女と一緒なのだと思ってたの』
病院へ行く車の中で話す話題ではないと思いながらも、美幸は言わずにはいられなかった様で幸司に訊いてきた。
『俺はとことん信用がないらしいな』
『だって、彼女は恋人で私は偽物の妻だから』
言葉を詰まらせながらも自分の立場は分かっていると美幸はそんな言い草をしていた。そんな美幸の顔は涙ぐんでいて、これから病院にいる父親に合せられるような顔をしていない。こんな状態で美幸を見舞いなどさせられない。そう思った幸司は交通量の少ない路側帯に車を寄せた。
『美幸は本物の妻だ。大事にする。だからお義父さんの前でそんな顔をするな』
『うん』
自分を『偽物の妻』と言う美幸に、幸司は心苦しい思いをする。まさか、そこまで美幸を追い詰めていたのだろうかと再び罪悪感に苛まれてしまった。
『お前は俺の妻なんだ、もっと自信を持て』
美幸が流す涙を指で拭うと、幸司は微笑み返す美幸が愛しくてキスをした。チュッと重なるだけのキスのつもりだったが、哀れにも感じた美幸が愛しくてキスを止められなかった。
「課長?!」
病院へ向かう車の中でのことを思い出していた幸司は、全員が自分のデスク前に揃った事も気付いていなかった。ボーっとして美幸とのキスを思いだし頬を紅潮させていると、吉富から厭味を言われる。
「もしかして課長って午前中はラブホ行ってたんじゃないですよね?」
突然振られたそのセリフに幸司は思わず言い返してしまう。
「ラブホには行ってない。ちょっと、その前に……」
「その前に? どうしたんですか?」
「いや、何でもない」
美幸との甘いキスを思いだした幸司は顔を赤く染め俯いてしまう。その反応を見た社員らは皆して晴海へと視線を向ける。午前中は、晴海は確かに会社内にいたし、他の社員らと一緒に仕事をしていた。なのに、幸司は女と一緒でその女と何かがあったと皆が確信すると、その「女」とは一体何者なのかと、皆の興味はそちらへ向けられる。