好きにならなければ良かったのに
「佐々木、最後の仕上げをする。会議室へ行くぞ」
香川が佐々木に声をかけた時だった。
欠勤の筈の美幸が出社してきたのだ。
今日は一日両親の側についているものと思っていた美幸が申し訳なさそうな顔をしてやって来た。
「すいません、度々皆さんにご迷惑かけて」
現れた美幸は深々と頭を下げると、急いで自分のデスクへと行く。そして、机上の資料を手に持つと香川の方へと急ぐ。
「待て、何故出社した? 今日は休めと言った筈だ」
幸司は少しでも気落ちした義母の側に付き添わせようと思っていた。落胆し覇気のない親を放置できないと、これ以上の親不孝はさせたくないと。
「母に言われたからじゃないけど、……突然目の前から大事な人がいなくなることもあるから、後悔だけはするなって。後悔する人生を送ってはダメだって、私もそう思うの。だから、私はここで働いて少しでも役に立ちたいし、もっと自分に出来ることをやりたいの」
美幸の真っ直ぐな瞳に幸司は言葉を失う。これまで幸司の顔色ばかりを窺ってオロオロしていた美幸はもう何処にも居ない。自分の意見をハッキリ言っては幸司に自分の意思を伝える美幸から目が離せない。
「良いのか、それで?」
「うん、覚悟は出来てる」
微笑みながらそう言う美幸の顔は実に爽やかで、その場にいた誰もが美幸と幸司は何か関わりがありそうに感じた。
「私、頑張るから」
涙を流していた脆い美幸とは打って変わって、実に頼もしくなったその表情に幸司もまた笑みが零れる。
「じゃあ午後からの研修を頑張ってこい。研修はこれで最後だぞ」
「分かってるわ、しっかり勉強してくるから」
「ああ」
これ迄よりは少しだけ距離が縮まったようなそんな気がしたのは、美幸だけでなく幸司もそう感じた。美幸の変化が思った以上に心地よく感じる幸司の顔は実に優しげな顔へと変わる。
そんな二人の雰囲気が薔薇色に感じる周りの社員らは、仕事の手が止まりみんなが戸惑いを見せ乍ら二人の様子を眺めている。
「香川さん、遅れてすいません。最後の研修宜しくお願います」
美幸の微笑みを見ながら香川は「惜しいことをしたな」と呟いた。「え?」と不思議な反応をする美幸を見てフッと笑うと「さっさと会議室へ行くぞ、時間が勿体ない」と美幸と佐々木を営業部一課から連れ出す。