好きにならなければ良かったのに

「そうか、皆の意見は良く分かった。肝に銘じておこう」

 幸司はそう言うと顔色を変えることなく営業部から出て行く。幸司の後ろ姿を見ていた美幸が偶然晴海と目があってしまう。晴海は美幸を睨みつけるとプイッと顔を逸らし無視する。

「大石、この後時間あるか?」
「え? あ、すいません。私、これから行くところがあるんです」
「部長の病院へか?」

 何故香川がそれを知っているのか美幸は驚いた顔をする。そして出て行った幸司の方へと目をやると困った顔をする。

「課長以外には秘密だったのかな?」
「そう言う訳じゃないんですけど」
「実は、私は入社時に随分大石部長にはお世話になっているんだ。だからお見舞いに行きたいから、良かったら君が行くのなら一緒にどうかと思って」

 そこまで事情を話した香川を無視できるほど美幸は冷たくはなれない。しかも、香川は自分にとっては研修指導をしてくれた先輩社員だ。ここは香川を連れて病院へ行くしかないのかと頷いた。

「私の仕事が終わるのがもう少し後だが、待たせても大丈夫か?」
「少しだけなら……、でも、その、見舞いでしたら私が代わりに」
「直接話したいことがあるので」

 さっきの幸司とのやり取りを考えると、この見舞いのタイミングの良さに美幸は何か裏があるのではないかと疑いの目を向ける。すると香川は「仕事の話だよ」と言って自分のデスクへと戻る。

 香川の後ろ姿を見た美幸は、幸司が出て行った方へと視線を移した。幸司はどこへ行ったのか戻って来る気配はなく、このまま香川と一緒に病院へ行ってもいいのだろうかと悩む。しかし、香川は美幸と一緒に病院へ見舞いに行くつもりでいるのだから、今更悩んだところでそれは無駄だと分かる。

 大きな溜息を吐いて帰宅準備を始める美幸だが、香川はまだ仕事が終わらないらしく暫くデスクにジッと座ったまま香川が終わるのを待っていた。それから三十分程過ぎた頃だった、香川が机上の資料を片付け始めたのは。

「大石、すまん。つい仕事に没頭して時間をオーバーしてしまったな、急ごう」
「はい」

 とうとう美幸は香川に「NO」と言えなくて一緒に病院へ行くことになってしまった。
 そして、この様子を見ていた吉富と晴海は黙々と仕事をしていた。美幸が誰とどこへ行こうと関係ないと思いながら。しかし、吉富はこの時、口角を少し上げフッと笑う。


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