好きにならなければ良かったのに

 美幸と香川が帰って行く頃になると、営業部一課の他の社員らの姿も少なくなる。一人また一人と帰宅して行く。

「ねえ、晴海ちゃん。まだ仕事するの?」
「相田さんに任せた資料のやり直しをしてるのよ」
「俺、それ確認したけど問題なかったよ」

 晴海はキーボードを叩く手が止まり吉富を見て目を細めては睨みつける。

「そんな可愛い顔をされたら俺の胸はキュンとしてしまうな」
「バッカじゃないの?」
「そうだねぇ。ワザと違う資料を相田のみっちゃんに渡したとは思っていないよ」

 吉富が晴海の背後へと回り入力中の資料を取り上げる。
 晴海はその資料を取り返そうと振り返ると、吉富が晴海の腰に腕を回しグイッと引き寄せる。

 営業部一課が人気が少なくなったとは言え、近くのデスクではまだ戸田が仕事をしているのだ。戸田は驚いて二人を見ると顔を真っ赤にさせているものの、二人の成り行きをしっかり見ている。

「止めなさい」
「怖いなぁー」
「吉富さん、もう少し真面目に仕事をしたらどうなの?」
「香川先輩が何故美幸ちゃんを誘って部長の見舞いに行くんだろうね?」

 取り上げられた資料を取り返すと、晴海はプイッと吉富に顔をそむけて椅子に座る。資料を元の位置へ戻すとさっきの仕事の続きを始める。

「それ、みっちゃんには頼まないの?」
「これ以上間違えられても困るから。私がやった方が早いでしょ?」
「そうだよね。みっちゃんは何度やっても課長の気に入る様には仕上がらないからね」

 厭味たっぷりで言う吉富にカチンと頭に来た晴海は、椅子から立ち上がると振り向きざまに吉富の頬を思いっきり叩いた。
 「バッチーン」と綺麗なビンタの音が鳴り響くと、そこへ偶然戻って来た幸司の耳にも届く。

「何があった?」

 幸司の声に反応した晴海と吉富は、同時に声がする方へと顔を向ける。そこには幸司だけでなく青葉の姿もあり、珍しく二人が一緒に揃って営業部へとやって来た。

「いえ、ちょっとした悪ふざけですよ。あまりにも晴海ちゃんの作業が的確で早いので驚いてしまって」
「日下の資料は文句無しの仕上がりなのは毎回の話だろう? 今更何を言う」

 幸司のセリフに近くで聞いていた戸田の顔色が変わる。そして仕事をしていた手を止めるとパソコンをシャットダウンし机上を片付け始めた。

「あれ? 光彦、もう帰るのか? まだ終わっていなかっただろう?」
「仕事する気になれないんで」

 珍しく口調を荒げる戸田が荷物を手に持つと「お先に」と言って帰ってしまった。

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