好きにならなければ良かったのに

 香川の申し出は有難くは感じるものの、美幸は課長である幸司からは何も聞かされておらず、勝手に自分の意思で決められるとは思っていない。だから、頭を横へ振るしかこの時は出来なかった。

「そうか。この一課は他の課と違ってかなり大きな会社を相手にしている部署だ。その課で一番の営業成績を収める私と組めばきっと遣り甲斐のある楽しい仕事になると思ったんだが。違うか?」
「もしそうであったとしても、課長からは何も聞かされていませんので。私はまだ何も言えないんです」

 美幸はそれ以外の言葉は見つからなかった。幸司から直接話を聞くまでは香川だけでなく他の誰が誘ったとしても頷けるものでは無かった。

「そうか、入社したばかりだからな。先ずは上司からの指示が必要だな」

 ハンドルを拳で叩くと香川はエンジンを止めた。シートベルトを外しながら美幸にも外すようにと言う。戸惑う美幸だが、仕方なくベルトを外しドアを開ける。

「大石」
「はい?」

 ドアを開けようとした美幸の手を掴まれドアを閉められてしまった。覆いかぶさるように近づく香川の体に反応して美幸が思わず窓際へと体を摺り寄せる。

「何ですか?」

 美幸が少し怯えた様に言う。そんな美幸を香川は暫く見ている。
 それは愛しい女を見るような瞳では無く、かと言って一緒に仕事をしようと言う仲間の表情にも見えない。まるで感情のない動物の様な顔をする香川が怖くなって美幸の手が少し震える。

「君を手放したくないのは課長だけじゃないんだ。私も君を手放したくないと思っているよ」

 『それは部長の娘だから』それなら今の香川の表情に納得がいく。美幸は尚更のこと香川と一緒に組んで仕事はできないと、この時ハッキリそう思えた。部長の娘として利用しようとする香川とは一緒に居られない。だから、美幸は急いでドアを開けようとするが、香川の手によって阻まれる。

「下ろしてください」
「部長の娘だから課長も君を手元に置きたいんだ。それを私が同じ様に言って何が悪い?」
「良い悪いの問題ではないです。これは私の意思で決まるものではなく課長が決めるものでしょう? 香川さんだって課の一員なんです、だから」
「だから?」

 香川に捕まれる腕に力が入ると、その力で腕に痛みを感じた美幸はドアを開けようとした指に力が入らなくなる。そして掴まれた所が痺れていくと顔色までもが青ざめて行く。

「力では思い通りにならないんですよ、香川さん」

 美幸のその言葉にハッとした香川が美幸から手を離した。思わず頭に血が上ってしまった香川は美幸から離れるとハンドルを両手で掴んで謝罪する。



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