好きにならなければ良かったのに

 言いかけたものの口を噤む遠藤に、美幸は何か余程の大事が起きたのだろうかと思え、遠藤の後ろに隠れる様に立っている使用人達の表情を見回した。
 誰の顔を見ても、皆同じ様にかなり気まずい表情をしている。

「遠藤さん」

 美幸に名前を呼ばれビクリと肩を震わせる遠藤は、いつまでも黙っている訳にもいかず、美幸の目を見ると「落ち着いて聞いて下さい」とかなり上ずった声で言う。

「なんなの?」
「昨夜、旦那様がこちらへ向かわれた後、消息がなくなってしまったんです」
「消息がって、これまでビジネスホテルに泊まって翌朝には会社へ行っていたんでしょう? だったら、今頃は会社で仕事をしている筈だわ」

 しかし、遠藤は首を横に振り眉を細める。

「会社からもまだ旦那様は来ていないと問い合わせの電話がありまして」
「……まさか」

 美幸は思わず晴海と駆け落ちでもしたのかと、そんな考えを巡らせていた。父親から命令同然に結婚を言い渡されたのに、その相手と離婚すればきっと社長の怒りを買う。
 もし美幸と離婚が成立し晴海と再婚出来るのかと問われても、それは社長が許すのかどうかにかかっていて、現時点でハッキリとした事は分からない。

「幸司さんはどこかにいるんじゃないかしら?」

 美幸にはそう思えてならなかった。あの日、始業前の倉庫で聞いた幸司のセリフを思いだす。あの時、確かに愛の告白をしていたのだ。幸司の声を聞き間違える筈はない。
 それ程愛し合っている二人ならば、駆け落ちも満更ではないとしか思えないのだ。

 沈んだ顔をする美幸に遠藤は少し戸惑いながら言う。

「いいえ、そんな筈はありません。昨夜、奥様の様子がいつもと違っていたので旦那様にその事を連絡しましたら、かなりご心配されていまして『すぐに帰る』と言われて電話を切られたんです」
「本当なの?」
「はい、かなり心配されていました。動揺された様な声でした」

 そんな些細な幸司の態度が美幸には嬉しく感じてしまう。晴海を愛している筈なのに、それでも妻だからと妻の体調を心配してくれる幸司に悦びを感じるなんて、自分はどこまで愚か者なのだろうかと笑いが出てしまいそうだ。

 けれど、今はそんな考えをしている時ではない。何故、直ぐに帰宅すると言った幸司が夜を明かした今になっても戻らないのか。
 本当に、晴海との間で何もなかったのだろうかと美幸は心中穏やかではない。

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