好きにならなければ良かったのに

 出された水を一気に飲み干すと、やっと落ち着いた気分になる。テーブルの前に座っていた幸司だが、すこしお尻を滑らし壁際の方へとすり寄る。

 テーブルに体を横に向けては壁にもたれ掛かり、脚を伸ばしリラックスする。すると何処からともなく聞いたことのある声が聞こえてくる。

 声が聞こえる方へと耳を澄ますと、どうやら幸司の直ぐ後ろ側のテーブルの方からその声は聞こえる。聞き覚えのある声は二人で、その様子から食事をしながら話をしている。

「同じ研修だからって、二人だけで食事をするのを放っておいていいんですか? あのままだと、佐々木に取られてしまいますよ?」

 一体何の話をしているのか、聞こえるその声の主から会話の内容を想像していた。今の声の主は戸田光彦だ。

「構うものか。まだ、今はそれどころじゃないだろう?」

 もう一人の声は吉富隼人だ。二人の会話となると、さしずめ話題は女の事かとクスッと笑いが出る。そんな二人の会話を隣で聞きながら和んでいる幸司だが、二人の会話に出てくる女とは一体誰の事だろうかと二人の話を聴いている。

「新卒にしてはどこか色っぽいですよね、彼女」
「それに結構度胸があるときてる。ありゃあ香川先輩も気に入るんじゃないのかな?」
「えええっ? 香川さんが? でもあの人が仕事に私情を挟むとは思えないですよ」
「香川先輩だって男さ。気になる女がいれば落としにかかるって。でも、あの女の場合はちょっと違うだろうなぁ」
「どう違うんです?」
「まあ、耳を貸せよ」

 いきなり二人の会話が途切れた。横長く広がる座敷を個室の様に間仕切りで仕切られたこの空間。隣の席の会話は良く聞こえるがヒソヒソ話を始められると流石にそこまでは聞こえない。
 しかし、二人の会話の単語を繋いでいけばそれが誰の話をしているのかは想像が付く。

(吉富と戸田が気に入った新卒の女で佐々木と一緒に研修を受けているのは……美幸しかいない。しかも、香川が美幸相手に何をしようというのか……)

 表情を曇らせる幸司だが、そこへ店員が定食を運んでくる。

「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ」

 料理が運ばれてくると隣の席から二人の会話は完全に聞こえなくなった。どうやら食事を終えた二人は帰っていくようだ。


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