好きにならなければ良かったのに

『今夜は大事な会食が入っているだろう。それより、お前は何か用があったんじゃないのか?』
「いえ、特に急ぐ話ではないですから」
『そうか、今夜は美幸さんも母さんの誕生日のお祝いに駆けつけてくれる。お前も一緒に来るんだろう?』
「時間があれば……」

 すっかり母親の誕生日など忘れていた。そして美幸が実家の母親の誕生日のお祝いへ行くことも知らなかった。幸司は何も言わずに電話を切ると持っていた箸を皿の上へと置く。
 大きな溜息が出ると再び壁へともたれ掛かり少し呆けている。


---昼休みの終わりのベルが社内に鳴り響く。

 時間になるとそれぞれが自分の持ち場へ戻ろうと営業課へとやって来る。吉富と戸田も二人でワイワイと話が盛り上がりながら営業部へとやって来る。
 二人が戻って来た時には既に幸司は課長のデスクに座って仕事を始めている。

「課長って俺達が出て行く時も仕事してなかったですか?」
「してたよな?」
「なのに、今はもう仕事してますよ?」
「してるよな?」

 吉富と戸田は幸司の姿を見て肩を竦めては呆れた顔をしている。
 そこへ美幸もまた佐々木と一緒に戻って来ては楽しそうに会話をしながら午後からの研修の準備を始めている。そんな二人のところへ香川が寄って行くと、佐々木はどこかへと行き美幸は香川と二人で営業部から出て行く。
 佐々木はどこへ行ったのか、何故美幸だけを連れ出そうとしているのか、幸司は香川の行動を逐一気になっている。
 あの居酒屋で聞いた吉富と戸田の余計な会話の所為だと思うと、あの二人に無性に腹立たしく感じる。

「おい、吉富、ちょっと来てくれ」

「うわぁ、課長が呼び捨ての時は超不機嫌な時だ。吉富さん、ご愁傷さまです♪」
「おい、光彦。嬉しそうに言うなよ。俺の繊細な心が……」

 光彦の言う通りで幸司が部下を呼び捨てにするのは機嫌が悪い時と気まっている。それを知っている社員らは『吉富が課長を怒らせた?』とそんな目をして二人の様子を見ている。

「少し席を外すから、お前は日下を連れてシステム課へ行ってくれないか?」

 そう言ってデモ用プログラムの資料を吉富へと差し出す。突然のことに話が見えない吉富は少し戸惑い資料を受け取れずにいる。


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