好きにならなければ良かったのに

 誰もいない給湯室。会社で二人だけになるとどこか落ち着かない美幸。そんな美幸を見ているとイライラしてしまう幸司は、給湯室にある食卓テーブルの椅子を引きそこへ座る。

 入り口付近で止まっている美幸は、まるで家に居る時の様なオドオドした表情を見せる。会社で他の社員らと居る時は伸び伸びとした表情を見せているのに、幸司と二人っきりになるとその様子が一変してしまう。そんな美幸に溜息が出てしまう。

「何故、今日は母さんの誕生日だと知らせなかった?」

 まさか会社でそんな質問が飛んでくるとは思わずに驚いた美幸は答えに困ってしまった。

 昨日、酒に酔ってそんな話は一言もしなかったし、今朝目覚めた時も幸司へは一言も話さなかった。昨夜幸司を怒らせ、てっきり晴海の許へ行ってしまったと思っていた美幸は言いだせなかった。

「昨日、出て行ったきり帰らないと思ったから……」

 ここは正直にそう思った通りに伝えた。それが怒りを買おうが美幸にはそれが事実なのだから。

「俺は戻って来たし、朝だって顔を合わせただろう?」
「まさか、家にいるとは思わないでしょう?」
「…………そこまで、信用ないとは」

 『信用』とは一体何なのか。二人の間には結婚生活が始まった途端に信用などと言う言葉はなかった。今も、以前と同じく恋人だった晴海を愛人として幸司の傍にいつもおいている。そんな二人の姿を見せられて何を信じると言うのか。

「それに、お母様は大袈裟なお祝いはしないからと、形だけのお祝いをするからと言われるから私が会社帰りにお母様の所へ行くつもりで」
「せめて昨日の段階で言えば俺だって調整するし、いや、今朝でも良い。もっと早く聞けば」

 早く言うも何も、こんな状況を作っている自分の責任は問わないのかと、美幸は昨日の夜に見たあの光景を思いだしていた。美幸が会社を出て直ぐだった。晴海を乗せた幸司の車が会社の駐車場から出て行くのは。そんな光景を見させておいて何もかもが美幸の所為だと言われても怒りが増すだけだった。

 そしてそんな怒りからつい本音が出てしまう。

「自分の母親なのだから、私から逐一言われなくても今日が誕生日だってそれくらい知ってるでしょ?」
「なんだと?」

 座っていた椅子から降りた幸司が美幸の腕を掴み握り締める。

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