好きにならなければ良かったのに
「あら、こんな公の場で堂々と名前で呼んで良いのかしら?」
美幸の顔を見てフッと笑う晴海が厭味っぽい言い方をする。すると、美幸はトイレのドアを開けるに開けられなく足が竦んでしまっている。
「ねえ、幸司。紹介してくれないの? 私一度もちゃんと挨拶して貰っていないわ」
「会社で名前を呼ぶのは止せと言ってるだろ」
「あら、社内では公認カップルなのよ私達」
美幸の顔を見ては幸司にすり寄り、腕を掴んでは自分が本命の女だと言いたげな様子の晴海だ。そんな晴海の腕を振り払おうとするも、晴海は一向にその腕を離そうとはしない。
「私の恋人を横取りした女の顔を見たくて何年も辛抱してきたのよ」
「よさないか、そんな昔の話しを」
「だって、今だって私達ラブラブなのよ」
腕を掴む晴海の力強さに呆気に取られ晴海の顔を見ると、さも悔しそうな表情を隠すことなく露にしていた。
そんな晴海の顔をこれ迄見たこと有るのだろうかと考えると、掴まれた腕を無下に離せなくなる。
「今は仕事中なんだ、話があるなら後で聞く。だから」
「だから、私は邪魔なの?」
掴んでいた腕を離した晴海は幸司からも離れる。
「そうじゃない、俺はただ、美幸とは話が途中だから」
「あ、いたいた! 晴海ちゃん、トイレ長すぎだよ♪」
三人の異様な雰囲気の所へやって来たのは吉富だ。午後から晴海と吉富の二人でシステム課へ行く予定なのに、トイレに出たまま戻らない晴海を探しに来たようだ。
「これからシステム課へ行くけど、課長はもう暇そうですね。ここは課長と晴海ちゃんの二人でいった方が早く終わりそうな気がしますけど?」
晴海は吉富を睨み付けると、吉富の手に持つ資料を取り上げて幸司へと渡す。
「だそうですよ、課長。早く行って仕事を済ませましょう」
「ああ、分かった。俺が行く。吉富、プレゼン用のデータ確認をしていてくれ」
「了解です」
にっこり手を振って幸司と晴海を見送る吉富。二人の姿が完全に見えなくなるまで美幸の側から離れない。美幸は動くに動けず、この場から去るタイミングを逃してしまう。
すると、誰もいなくなった所で振り返って美幸を見ると、吉富はにっこり微笑んで囁くように呟く。
「美幸ちゃんには聞きたいことが沢山有るけど、今夜はモチロン空いてるよね?」