好きにならなければ良かったのに

---就業時間終了まで残り数分。

 粗方仕事を片付けた幸司は明日の仕事のチェックをしている。得意先へ提出する資料に不備はないか、商談の時間の確認など今出来ることを一つ残らず目を通していた。

(明日の仕事の問題はなさそうだ。……美幸の二日酔いは大丈夫のようだと家から連絡はあったが、連日のアルコールだ。飲んだこと無いだろうに、無茶して。そもそも、あの吉富が余計なことさえしなければ……)

 つい、パソコンに向かって作業する吉富を睨み付けた。昨夜の吉富の行為は許せないが、社内での吉富のあまりよろしくない評判を美幸は知らなかったのかとイライラが増して落ち着かない。

 吉富は、幸司にほぼ背を向けながらパソコンの画面を見て作業しているが、その後方から冷たい視線を一日中感じて今日は作業に集中出来ない。背中に冷や汗を掻く吉富は、昨夜と今朝の幸司とのやり取りでかなり気まずい状態にあり憂鬱な一日を過ごしていた。

「吉富さん、今日はなんか落ち着かないですね」
「あ? 光彦か……」
「何かあったんですか?」

 『あったぞ』と言えるものなら言いたい吉富だが、流石に会社の中で話せる内容ではないと口を噤んだ。眉間にシワを寄せると小さな溜め息を吐き「何もないが」と恍けた答えを返す。

「ふ~ん、そうなんですね」
「俺は忙しいんだ。お前と遊んでいる暇はないんだよ」

 その言葉通り、吉富は今日一日中仕事に集中出来ずに作業が捗らない。おまけに日中は幸司と晴海の三人での得意先訪問もあったのだ。仕事どころではなかった。
 今も顧客へ渡す書類を作成しているものの、頭が働かず出来の悪い仕上がりばかり。何度も消しては書き直しの繰り返しをしていた。

 かなり不機嫌な顔をして作業に没頭しようとする吉富だが、その隣の席では椅子の背もたれに向かって跨り座る戸田がニヤリと笑って吉富を見る。

「吉富さんの晴海ちゃんに何かあったんですか?」
「俺の晴海ちゃんじゃないだろ?」
「いつ、私が吉富さんのモノになったのかしら?」

 二人の会話を聞いていた晴海が頬をひきつらせ二人の前へとやって来た。

「社内で変な会話をしないでくれる?」
「ああ、課長に聞かれるのが嫌なんだ?」

 吉富に皮肉っぽく言われた晴海だが、いつもに増して怖い顔をしながら「課長ならご帰宅よ」と言って課長のデスクの方へと指を差す。

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