幸福に触れたがる手(短編集)





 苦笑しながら篠田さんを見上げると、彼はまだ口を尖らせていた。

 見るからに不機嫌だけれど、今度はわたしが話す番だ。
 考えをまとめてから、ゆっくりと切り出した。


「先月、三年付き合った恋人に振られました」

「……は?」

「理由は、わたしがつまらなくて張り合いがなくて可愛げがなくて、一緒にいるメリットがない女だからだそうです。今篠田さんが言ったように、気を遣って遠慮して相手に合わせて、を無意識にやっていた結果だと思います」

「……」

「嫉妬して駄々をこねて甘えてほしかったらしいんですが、なかなかできなくて。難しいですね、自分の気持ちをストレートに伝えるって」

 言うと篠田さんは、頭が乗った左腕を折り、空いていた右腕を腰をわたしに回して、身体をぐっと抱き寄せた。
 わたしも左腕を篠田さんの背中に回して、鎖骨に額をくっつける。
 温かくて柔らかい香りがして、なんだかほっとした。


「そりゃあ難しいことかもしれないけど、寝てる俺を容赦なく揺さぶったり、誘ったのに拒否したり、ちょっとはできてただろ」

「それは篠田さんの寝姿に驚いたのと、本当に体力の限界だったので……」

「あとゆうべ俺を追い出そうともした」

「追い出すなんて……。初詣のお誘いがあったからですよ」

「その都度、追い出そうとしてんのかなあとか、他人がすることに興味がねえのかなあって思ったけど、そうじゃないんだって気付いた。どれもこれも、こいつの性分か、って」

 どう返していいか分からず、苦笑したままさらに篠田さんの鎖骨に顔を埋めると「いいよ」ち優しい声が耳に響く。

「変わりたいって思うんなら、少しずつでも変わっていけばいい。俺はおまえのこと、つまんねえ女だなんて思ってないから」


 とくん、と。胸が鳴った。
 こんな感情は初めてで、どう反応すればいいのか本格的に分からなくなってきたから、とりあえず「ありがとうございます」とだけ返した。
 篠田さんは「素っ気ねえなあ」と笑っていた。



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