恋愛生活習慣病

act.12

ヒモ。ヒモ男。
女に貢がせ、経済的に依存する男のこと。世間一般的にはろくでもないクズ男の代名詞。


「李紅は、経済力のない男が好きなの?」


まさか「ヒモと付き合いたいから」なんて理由で断られるとは思ってなかったのだろう。冬也さんは呆気にとられた顔でしばらく静止した後、そんな質問をしてきた。


「いえ、経済力がない男性が好きって意味ではないです。良質なヒモ彼が理想だってことです」


生きていくのにお金は大事。美味しい物を食べたり可愛い服を着たりしたいし。
だからダメな男に貢ぐために、あくせく働くような生活がしたいわけではない。
そうではなく、友人で良いヒモを養っている子がいて、彼女たちの関係に憧れているのだと話した。


「彼女たちの場合は、彼女が住居と生活費を負担して、家事や雑用やストレスケアをヒモ彼が行っています。役割分担をして足りない部分を補いながら支えあい、かつ適度な距離を保って暮らしてるんです。依存しすぎることもなく搾取したりされたりすることもない、そんな関係が理想なんです。だからヒモ彼と付き合いたいと思ってます」


友人の彩芽は彼と暮らし始めてからすごく幸せそうだ。
前の彼やその前の彼とは、喧嘩も多くて怒ったり泣いたりすることが多かった。
今のヒモ彼は、彩芽のわがままなところや疑り深く実は臆病な性格をよく理解していて、入り込み過ぎず離れすぎない距離を保ってくれるから、喧嘩もなくて仲良しだ。彩芽もありのままの自分でいられて楽だとよく言っている。
そんなヒモが、私は欲しい。


「良質なヒモ彼」


冬也さんは首を傾げて理解ができないという態だけど、理解してもらうつもりはない。
冬也さんとかヒモから最も遠い人種だしね。理解しろってほうが無理でしょ。

と、ドヤ顔になった私は所詮アホ人でした。冬也さんの賢さを甘くみてました。


「つまり李紅は、お互いに尊重しあい、足りない部分は補い合って、かつ過干渉しない関係を作りたい、ということだろう?それなら、ヒモという形にとらわれなくてもいいのじゃないか?」

「え」

「李紅が俺に依存するのは大歓迎だけど、俺は李紅に依存するつもりはないし、搾取もしない。李紅の行動や生活習慣、趣味といったプライベートには口出ししないと約束するよ。李紅が嫌な事はしないし、やりたいことは尊重する。もちろんすべてが自由というわけではないけどね」


え……。
それはかなり好条件ですが。メリットをたくさん提示しておいてデメリットが厳しかったりするんじゃ。


「すべてが自由ではないってことは、何か制限があるんですか」

「あるよ。他の男と関係を持つのはダメだ。もちろん、俺も李紅しか見ないし他の女と仕事以外では関わらない。ああ、母親や祖母と食事するくらいは許してもらおうかな」

「あの、いくらなんでも私、そこまで心狭くないですよ。家族や親戚は可じゃないですか」

「では他に何か気になるところはない?」

「はい、まあ」

「よかった。じゃあ他に問題はない?」


他の問題?と考える間もなく、冬也さんがにこ、と笑った。

にこ……!にこって笑ったよ!破壊的にかっこ可愛い……!

レアな笑顔に悩殺されて呆けた隙を逃さず、冬也さんはまたキスをしてきた。
今度は触れるだけではなく唇を食んで舌を入れようとしてきたから焦った。

私の口、酒臭いうえに寝起きでねばねばしてるし…!

慌てて押しのけて「洗面所、借りますから!」って走って部屋を出ようとしたら

「そこはクローゼット。洗面所はこっち。歯ブラシとタオルは置いてあるから使って。服と下着も用意しているから、よかったら風呂もどうぞ」

と笑いながら細かい案内をしてくれた。

服と下着って?とクエスチョンマークが浮かんだけど、それ以上に何かが引っかかる。

でもそんな引っかかりは、真っ白な大理石の洗面台に縁飾りが素敵な大きな鏡がある広いパウダールーム、その向こうの大きなジャグジー風呂の浴室を目にして吹っ飛んだ。
浴室は壁面が大きなガラス張りになっていて青い空が見えたものだから「うわあ」と思わず声が出た。

どうやらここは高層階のマンションらしい。窓はマジックミラーなのかな。露天風呂気分になれそうな温かそうなお湯で満たされたお風呂に、柔らかな日差しが差し込んで、実は温泉好きの血が騒ぐ。
どうしよう入りたい。けどさすがにどうよ。
もじもじしていると、図ったようにドアがノックされて冬也さんが声を掛けてきた。


「俺が使った後で悪いけど、李紅がよければ浴槽も使って。外からは見えないようになってるから安心していいよ」


く……!
このタイミングでそう言われたら!

結局……遠慮なくありがたくお風呂を頂きました。誘惑に弱い私。

浴槽から窓の下を覗くと東京の街が一望。遠くには東京湾も見えた。すごい気持ちいい。
ここどこだろう。冬也さん、自分ちって言ってなかった?
最近、仕事絡みで高い所によく昇ってるからなんとなく分かるけど、ここ50階くらいありそう。
東京タワーがあの辺に見えるってことは、ここは職場の近くかもしれない。
うわ、家賃いくらよ?冬也さんのお給料、相当いいんだろうなあ。
ヒモでも家政婦でもなんでも雇えそうだわ。

なんてぼんやりまったり、思いのほかのんびりしてしまった。
さっきまで緊迫したやり取りをしていたのに、この寛ぎよう。
我ながら呆れると思いながら、浴室を出てすぐに椅子があって、その上に女性物の衣服と下着が置いてあるのを発見した。

そういえば、さっき服と下着を用意してるって言ってなかったっけ。あれってこれ?
昨日来ていた服と下着は汗なんかで汚れてて、できれば着たくないから、これ着たいけど……いいのかな。
新品かなこれ。もしも元彼女が置いていった物だったら嫌だなあ。
まあいくら何でもそれはないと思いたい、けど。

ちょっとだけ葛藤しつつ拝借して、やはり洗面台に並べてあった女性用の高級コスメの化粧水とクリームも少し使わせてもらった。
ここの家、女性物が揃いすぎじゃね?

入って来た方のドアを開けて寝室に行ったけど、冬也さんは居なかったのでリビングかなと思い、別のドアを開けて廊下に出た。

廊下……マンションなのにけっこう長いなと思いながら突き当りのドアを開けたら、リビング広っ!天井高っ!

窓際に白い一人掛けのソファが二つと、その横に背の高いスタイリッシュなスタンド、向かい側には四人掛けくらいの長ソファが置いてあって、真ん中に大きなローテーブル。なのに余裕。

この部屋、象を二頭くらい飼えそう、とかバカなことを考えて入り口に突っ立ってたら

「李紅?こっちにおいで」

という冬也さんの声がした。
ふらふらと声が聞こえた方に歩いて行ったら右手にキッチンがあって、冬也さんはそこにいた。ここも広い。
コの字型のスタイリッシュなシステムキッチンでコンロ口が5個もあって、そのうちの1つに鉄瓶が火にかけられている。
お店みたいな本格的なコーヒーマシンか壁際にあるけど、今朝は緑茶なのかな。手に茶筒を持っていた。

冬也さんは白いコットンシャツにグレーのアンクルパンツ、黒縁のウェリントン眼鏡がアクセントになっているカジュアルスタイルですごく似合っている。そのままファッション雑誌に掲載できそう。かっこええ。


「お風呂、ありがとうございました。おかげでさっぱりしました。すごくいいお風呂ですね!」

「そう。気に入ってもらえてよかった。服も似合ってる」


私が来ている服はホワイトベージュのざっくりしたニットに同系色のとろみのある生地のプリーツスカートで、ちょっと大人テイストで春っぽい爽やかさもあって、すごく可愛い。
しかもまだ少しぽっちゃり気味な私のウエストにも優しいゴム仕様。下着も控えめなレースの付いた白の上品なセットアップで、昨日私が来ていた無気力なカップインキャミソールとは大違い。
日頃からこんな下着や服を身に付けるような女子になりたいものである。


「あの、お借りしておいてあれなんですが、これ、元カノさんの服と下着ではないですか?」

借りた服はクリーニングに出して返すつもりだけど……この場合、冬也さんに返せばいいのだろうか。

「元カノ?この家に女を泊めたことはないよ。その服と下着は新品だし今カノの物だから安心して」

「今カノ?」

「今の彼女のことを日本語でそう言うだろう?違うの?」


海外生活の長い冬也さんは「元カノ、今カノ」の言葉を気にしているけど、私が気になるのはそこではない。


冬也さん、今カノいるんですか……!


この人さっき私のこと好きだとか言って口説いてたよね?しかも李紅しか見ないって言ってなかった?

……いや。
でも待て、よく思い出して李紅。
冬也さんはお互いを尊重するとか過干渉しない関係って言ってたよね。
もしや、それってお互いが好き勝手してもOKだよねっていう意味……?

私のことも好きだけど、彼女の次に好きとか。

あり得る。
海外生活が長い人だし、恋愛の国フランスとかの遺伝子も持ってる人だし(偏見)、縛られた恋愛なんて無意味。愛の形はひとつじゃないんだよ、とか言っちゃう人なのかもしれん。

……さっき告白された時にうっかり頷かなくてよかった。やはり、この人とは付き合えない。


「冬也さん。人の価値観をどうこう言うつもりはありませんけど、二股はよくないと思います」

ダイニングで香り高い日本茶を優雅な動作で淹れていた冬也さんの手がピタリと止まった。

「二股?」

「今カノ、いるんですよね?」


口に出してみると何だか申し訳なくなってきた。
この家にまだ泊まったことがないと言ってたから付き合って間もないのかもしれない。
それなのに、メシ友だと言っても性別は一応女の私が泊まって、彼女のための下着と服を身につけている。
しかも彼はその女を好きだとかほざいてキスしてるし。

これが浮気でなくて何だろう。
がっかりだ。
冬也さんは良い人だと思ってたのに。
こんな不誠実な人だったなんて、もうメシ友も続けられないかも。


「帰ります」

「李紅!?」


急須から離れた手が私の手首を掴んだ。


「離してください」

「納得したら離す。李紅、一つ確認したい。今カノって誰だと思ってる?」


誰って。そんなの。


「知るわけないでしょ。冬也さんの彼女さんなんて」


冬也さんの彼女になりたかった美人女優は知ってるけど。
あんな美人を振ったくらいだから、今カノはものすごい美人で魅力的な人に違いない。

少なくとも私みたいな普通の、いや普通以下かもしれない干物女とは違って、若くてお肌がぴちぴちで、ウエスト細いのに胸がEカップでヒップがきゅっと上がった股下80センチくらいある、白目の濁ってない小悪魔系美人とか!

想像したらみじめになってきた。くそう。
キッと睨むくらいは許して欲しい。こっちは弄ばれるところだったんだから。
恨めしい目で見上げる私を、しばらく見つめていた冬也さんは、深い深い溜息を吐いた。


「今カノは李紅、君なんだけど」
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