恋人は魔王様
でも、あのことだけは片付けておかないと。

私は息を整えてキョウを見た。
真っ直ぐに、その黒い瞳と対峙する。

「マドンナ・リリーの記憶はないわよ」

「知ってるよ」

私の決意とは裏腹に、キョウがあまりにも軽く頷いたので目を丸くする。

「……知ってるって?」

「諦めてる。人間はそうやって過去の記憶を失わないと輪廻転生出来ないんだ。
ベネチアでは、ちょっと口が滑っただけ。
それに、リリーって言うのは、マドンナ・リリーのことじゃない。君の前世の名前だよ。イタリアで暮らしていた」

ああ、だからイタリア語が堪能なんだ。
私の前世の彼女のために。

「……リリーのほうが好きなんだ?」

「妬いてくれてるの?可愛いっ」

キョウが茶化すように私に囁く。

「じゃあ、あの時私の頭に響いたヴァトーレって言葉は何なのかしら」

思わず、独り言を呟いていた。

「ああ、サルヴァトーレって、前の君には呼ばせてた。
イタリア人によくある名前だし。どうしても、君はいつだって俺の魔界での名前が聞き取れないようだからね」

キョウは、喉の奥で楽しそうに笑っている。
せいぜい、前世の記憶までしかないということなのだろうか。

「……っていうか、そんなに楽しい?」

「楽しいよ、だって。
ユリアは絶対に聞かないって言ってたでしょう。
売春宿に売られそうになる直前に俺が浚った女の話」

「……それが、リリーなの?」

さぁ、と、キョウはいたずらっ子の目で笑う。

「あの夜みたいに好き放題陵辱していいって許可してくれたら、教えてあげる」

「……結構です!」

……どの夜だよ、それ!!っていうか、一体何をした!!

ちぇっと、いたずらを咎められた子供のように拗ねるキョウの膝からようやく降ろさせてもらった私は、ふかっとしたクッションに身を沈めた。
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