エリート上司の甘い誘惑
「でも寂しい理由なんてそれくらいしか思い浮かばない」
「あのねえ、そんな単純なものじゃないでしょ」
生意気なくせに、中身はまだ子供か、と言いたくなるその単純思考。
失恋したからって、そんな簡単に全部が過去になるわけじゃない。
今の園田を好きだなんて気持ちは全くないけれど、過去の私は確かに彼を好きだったのだ。
「じゃあ、教えてよ。その複雑な何かをさ」
「……馬鹿にしてんの?」
「違うって」
苦笑いをする彼は、まるでわがままを言う私を宥めるような表情で、なんだかわけがわからなくなってくる。
私の方は、単純思考の彼になんて言ってわからせようかと思案している感覚なのに。
思案して、思案して、思案して。
考え疲れた頭は、結局ぽろっと弱い自分を吐き出した。
「……未だに好きなわけじゃないわよ。でも」
「うん?」
「思い出はある。部屋のあちこちに染みついてんの、園田を好きだった頃の自分が、部屋の至る所に居る」
あの部屋で、何度も会ったし夜も過ごした。
食事も作ったし、必ず美味しいと褒めてくれるマメなところがあった。
食卓にもキッチンにも、テレビの前のクッションフロアにも、いろんなところに彼を好きだった私が居て、寂しい夜に限って姿を現す。
記憶を飛ばしたあの夜も、だから帰りたくなかった。
そのくせ。
「東屋くんにどこかで見られたって思った時に、気付いたんだよね。部屋のあちこちには溢れてくるくらいにたくさん思い出があるのに、外で会った時っていつだろう、と思うと全部思い出せちゃうの。両手で事足りる。結構、長く付き合ってたんだけどなあ」
まあ、その少ない確率を東屋くんに見られたわけだけど。
私は、最初から浮気相手に過ぎなかったんだなあと思うと、部屋のあちこちに染みついた「私」がものすごく、哀れに見えて仕方がない。