待ち人来たらずは恋のきざし


意外過ぎる男の言葉に驚かされた。
てっきり、もうそんなところには居るな、くらいの事を言われると思っていた。

「仕事、辞めようと思ったんじゃ無いのか?」

「え…はい」

「男と女の関係だから難しい。だけど、大丈夫なら辞める必要は無いんじゃないのか?

問題は根本的に違うし、例えとしても可笑しいけど、男同士のいざこざなら、社内でしょっちゅうある事だ。
当然気まずくもなる。場合に因ったらずっと敵対する事にもなる。
だけど、それで会社を辞めていたらきりが無いよな」

んー、それは、確かに男同士の仕事上の事が主で、直接の男女問題では無いけど…。
確かに、揉めたからと言って、気まずくて一々辞めていてはどうにもならない。

「景衣の気持ち次第だと思う。
心配に思うから簡単には辞められないってのもあるんだろ?
…次の仕事、希望に添った職に就けるかどうか不安なんだろ?」

その通りです。
ある程度迄の年齢なら深く考えない、迷いなく辞めている…。

望んだ職に就けるかどうかは正直厳しいと思う。

「悪い意味で言ってるんじゃない、景衣は普通の女じゃ無い、変わってる。
だから俺は、同じ職場に居ても心配はしない。
過信じゃない、今まで通り、やっていけるだろうと思っている」

それは信じていると言われているって事よね。

「なあ、景衣…。上司っていうくらいだから、その男、年上なんだろ?」

「確か私より三歳上だったと思う…」

ん゙ん゙。…や。…え、どうしたの?

「はぁ。…すっと答える。
そいつの事、覚えてる、知ってる…は、腹が立つ…」

いきなりだった。荒く噛むように唇を覆われた。

「…今しか言わないから許してくれ。

景衣をずっと好きだと言う。
しかも、好きを理由に一度きりだと言っても、景衣を好き放題抱いた男だ。
そんな男とずっと同じ職場に居ると知って、妬かない奴が居るならお目にかかりたい。
俺は…妬かないなんて無いからな。無理だ。

心配しないっていうのは、景衣を信じているからだ。それだけが頼りなんだ。
それを解ってて欲しい。

…先に出るよ」

…あ。
ずっとこんな思いで話を聞いていたのよね…。

出るって、もしかして、また帰ってしまうのかも。

…居ないかも知れない。
諦めの気持ちが殆どを占めていた。


お風呂から出たら男は居た。

珍しく外で煙草を吸っていた。
男は男で冷静になる時間を作っていたのかも知れない。

部屋着は着ていたが寒くないのだろうか。

今、側に行ってもいいの?


ベランダに出て後ろから抱きしめた。
驚きもしなかった。
凄くかっちりとした身体…。こうされた事にも微動だにしなかった。

こうして少し甘えなきゃ話せないって、解っていたのかも知れない。
私はすっかり甘え癖がついてしまったのかも知れない。
ずるさを覚えた、自分が最も嫌いな女になってる…。

「仕事は続けます。…そんな女です。でも…信じて」

…言ってて本当に何だか嫌な女だと思った。
都合が良すぎる…。

「そう言うと思ったよ、…景衣だからな」

あ、…。

「…ごめんなさい」

「何故謝る」

「でも、辞めた方がいいに決まってるから…」

「それは俺の為か?そうだよな?
景衣は景衣だろ。誰の為に生きてるんだ。
自分は自分で大事にしなきゃいけない。

今までだって、ずっと何にも依存しないで生きて来たんだろ?
俺に会ったからって生き方を変える必要は無い。
景衣が決めた事が景衣の意思だ。
誰かに言われて…従って、…結果後悔はしたくないだろ?
自分で決めた事なら、どうなっても、少なくとも納得は出来るはずだ。

…寒いだろ、中に入ろう」

「…はい」

男は携帯灰皿に煙草を押し付け、消し、しまった。

「遅くなったな…もう寝よう」

「…はい」

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