いつも、雨
領子の両目から、夥しい量の涙が流れ落ちた。


夫に下品なことを言われても、何も反論できない。

都合のいい誤解をされて……屈辱的なのに……むしろ、騙しきれるならそのほうがいいと、妥協せざるを得ない。


オトナになるということは、なんて、世知辛いのだろう。

自分の心に嘘をつき、敬愛できない男に一生、妻として仕えなければいけないなんて……。


あんなにも幸せだった日々は、遥か遠い。


竹原……。

わたくし、後悔したくないわ。

自分の選択を、誤りだと思いたくない。


でも、……わたくし……このまま独りで意地を張り続けるのは……苦しくって……。



領子の新婚生活は、こうして失意と共に始まった。



夫とは、心の通い合わないまま……それでも、たまに夫婦の営みを持った。

しかし演技すらしない、いつまでも濡れずに痛みに耐えるばかりの領子に、千歳は興味を失った。



舅は、本当の父親のように優しかった。

姑は、プライドの高い女性だったが、領子の出自と美貌と教養の高さが誇らしいらしく、社交の場に毎回、嫁の領子を同伴したがった。

……たぶん、嫁として可愛がってもらえたほうだろう。


それに、千歳の妹のかほりは、純粋に領子を義姉と慕ってくれた。


領子もまた、かほりを殊の外かわいがり、外出するたびに、舅姑と義理の妹への「お土産」を忘れずに持ち帰った。

それは、領子なりの精一杯の愛情表現だった。





領子が橘の家に入って、2年。

……恋を忘れるには充分な年月が過ぎた……はずだった……。




折しも京都は、祇園祭の真っ只中。

兄の自宅も、亡くなった嫂(あによめ)の実家も、鉾町でもなければ、八坂神社の氏子でもない。

直接は祇園祭には関係のない家だ。


しかし、全国どころか、海外からも観光客の押し寄せるこの期間に、京都を訪れて宿泊するのは、想像以上に骨が折れた。

「ホテルはどこも満室らしいので、ご不便をおかけしますこともございましょうが、兄の家に泊ってください、とのことです。……申し訳ありません。よろしくお願いします。」

状況がわからないまま、領子は家族に先立って、キタさんと一緒に京都へ出発した。


京都駅には、見知らぬ男性が迎えに来てくれた。

原と名乗った若いインテリ風ながら、鋭い目つきの男が、運転手付きの黒塗りの外車に領子とキタさんを案内した。
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