いつも、雨
要人は、既に佐那子の魂がこの世にいないことに気づいた。


入院してから一週間、朝夕、顔を見に来てはいたものの、佐那子はほとんど眠っていて……別人のように痩せて苦しげだった。


最後に言葉を交わしたのは、いつだろう。


佐那子が、最後に俺を見たのは……いつだ?



要人は、愕然とした。



妻との最後の会話の記憶がない。

わからない。


ずっと、春風のように、温かく要人に寄り添ってくれた妻は……それが当たり前すぎて……。



……なんということだ。

俺は……。







ほどなく、娘の由未が、夫の恭匡に肩を抱かれ支えられて、やってきた。


「お兄ちゃん……。」

由未は、義人を呼んで、涙を浮かべた。




続いて、バタバタと賑やかな足音が近づいてきた。


「まいらだな。病院で走っちゃだめだとあれほど言ってるのに……。」

顔をしかめて、義人は戸を開けた。


そこには、娘のまいらだけでなく、息を切らした娘婿の薫もいた。


「……薫くん。……来てくれてありがとう。でも、走っちゃダメだよ。まいら、言ったろ?……家族が揃ったと、伝えてくるよ。」

めっ!と優しく2人をたしなめると、義人はそのまま廊下へ出て行った。



「怒られた……。ごめん。」

薫がまいらに謝った。


言いつけ通り歩いていたまいらを急かして走らせたのは、薫だった。


まいらは、ぷるぷると首を横に振った。



そして、桜子のそばに行き、小声で耳打ちした。

「もう、おばあちゃんの心、身体から離れてしもてはるから……急いでも意味ないんやけど……そんなんゆえへん……。」



さすがに驚いたけれど、まいらがふざけてるわけではないことは、その目を見ればよくわかった。


悲しみと諦めに満ちた瞳に、桜子は泣くのをこらえて、小さく頷いて見せた。


言いたいことがちゃんと伝わったと感じたらしく、まいらもまたかすかに頷いて桜子の手を握った。


……佐那子が入院した日には感じた命の息吹を、いつの間にか感じなくなっていたことに、桜子も思い当たった。


回復のためではなく、ただ命を引き留めるだけに、喉を切り管を通すことを、佐那子は拒否した。

次第に呼吸が困難になり、必要な酸素を身体に取り込めなくなってゆく。


時間をかけて、佐那子の身体は生きる力を失っていった。


そうして、佐那子の魂は、もはや用をなさない身体から飛び立ったのだろう。



抜け殻の身体は、まだ機械によって脈打っていた。
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