いつも、雨
「……頭を上げてもらえますか?どうされました?何か、ありましたか?もちろん、私にできることは何でもいたしますが……」


鷹揚にそう言ってみたけれど、顔を上げた一夫を見て、言葉が途切れた。


一夫は覚悟を決めていた。

同じ顔を、要人は見たことがあった。



……そうだ……あれは……一夫くんが大腸癌の手術を受ける前……。



眉をひそめた要人をじっと見つめて、一夫は口を開いた。

「社長にしか、できひんことや。ずっと、決めてました。わしが死ぬか、奥さんが死ぬかしはったら、領ちゃんを……いや……妻が、ほんまに好きな男と一緒にさせたろう、と。」


……。



要人の顔から表情が消えた。



一夫が、まっすぐな男だということは、よくよくわかっていた。

だが、本気でそんなことを言い出すとは思っていなかった……。



「……領子さまが……承知されないでしょう。」


要人の口からやっと出てきたのは、そんなつまらない言葉だった。


謙遜ではない。

情けないことに、要人は、本気でそう思っていた。




一夫は、ふーっと息をついた。

そしてやるせなく苦笑した。

「どうですやろ。……まあ、頑固やから、すぐには素直になれへんやろうけど……せやけど、領ちゃんが、社長とわしと、どっちが好きかなんか、わかりきってますやん。わしは、領ちゃんに、幸せになってほしいんですわ。」




……胸が……痛い……。

心臓は悪くないはずだが……。


要人は、胸に手を宛がい、息を整えてから、冷静に言った。

「しかし、領子さまは、一夫さんと再婚されてから、とても穏やかで、幸せそうに見えます。いや、領子さまだけではなく、百合子さんも。私はね、一夫さん、あなたに心から感謝しているんですよ。おふたかたに安らげるすばらしい家庭を築いてくだって、……今さらですが、ありがとうございます。……もはや、私がしゃしゃり出ては、却って、幸せなご家庭に波風を立ててしまいます。」


お世辞でも謙遜でもない。


心からの言葉だということは、一夫にもちゃんと伝わった。



一夫は頭を掻いて、それから、ぶんぶんと大きく頭を振った。

「いや、あかん。それじゃ、あかんのですわ。……わしでは……領ちゃんを……笑顔にはできても、あかんのです。社長じゃないと……領ちゃんは、あかんのです。」

そう言って、一夫は、がっくりと肩を落とした。


そして、泣きそうな声で、呟いた。

「……泣くんですわ……社長を呼んで……寝言で……。……結婚してから、ずっと……。……本人、自覚してはらへんけど……社長じゃないと、あかんのや。」

< 552 / 666 >

この作品をシェア

pagetop