小倉ひとつ。
聞き取りにくいほどかすれた低くて甘い声に、え、と息をのむ。


半ば呻きじみた問いかけは、多分本当は、問いかけではなくて。ああもう、と遠くで抑えた声が聞こえた気がした。


ああもうって、えっと、あれ、おこら、せた……? でも口調は怖くないし……いや、瀧川さんだもの、怒るときも冷静で怖くないだけかな……。


さっきの「あなた」は、私の名前ではなくて、初めからあなたって言おうとした、明確な意図がにじんだ響きをしていた。


きちんと選んでのあなたなんて、久しぶりに言われた。

瀧川さんは律儀な方だから、言葉を選ぶときは大抵、立花さんって名前で呼んでくださるのに。


名前で呼んでくださらないなんてあんまりにも珍しくて、怒っているのかなって心配で。

でも、今しがた落とされた「あなた」の方がいつもの呼び名より数段甘い響きをしていて、混乱する。


「あの、瀧川さん。お嫌でしたら、ご遠慮なくお断りいただいてもだいじょ」

『すみません、違います』


早口だけれど、優しい声だった。


『違うんです。そうではなくて』


ただ。


『……電話でよかったと、思って』


全然、嫌なんかじゃないですよ。
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