春風駘蕩


これでもかというほど自分の演奏技術の向上のために時間と努力を費やす。

本人にしてみれば、それは自信のなさと未熟さにしか思えないようだけど、周囲からは「どこまでうまくなれば気が済むんだ?」という呆れた声も聞こえる。

内川さんも私も、それは同じ意見だ。

現状に満足しない向上心、それが巽をここまで成長させた原動力だ。

だから私もそれを見習ってきた。

巽の隣に躊躇なく並べるよう、とにかく仕事を頑張ってきたのだ。

「私ね、巽が努力してることも悩んでることも知ってるし、側で見てきたから自分も同じ場所にいられるように仕事で努力してきたんだけど」

「ああ。総合職に変わってからは、とくに熱心だったよな。俺が日本に帰ってきてもシステムの本番で会社に泊まり込みやら出張やらで会えない時も多かった」

「ごめんね。女だからって免除にはならないから。連日の泊まりでお風呂にも入れない日もあるから会いたくなかった日もあったし」

私はへへっと肩をすくめた。

巽は苦笑し、「寂しいのは寂しかったけど。まあ、体を壊さないかどうか、それだけが心配だったな」とつぶやいた。

寂しいと言われて、うれしくなる。

そして、会社を退職する理由が、ほんの少し言いやすくなった。

あまりにも忙しい日々が、私の将来にどう影響を与えるのか……。

なんて格好いい理由を言いつつ説明しようかと思っていたけれど、そんなのどうでもいいのだ。



< 24 / 45 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop