春風駘蕩
「巽は、これからしばらく海外での仕事が増えるって言ってたし、日本でのコンサートは当分ないって聞いて……それに、えっと……巽の独身最後の日本での演奏は、どうしても聴きたかったから、今回だけは内川さんにお願いしたの」
「は?」
「そう、それが、どうしてもチケットを手に入れたかった理由なの」
私は強い口調できっぱりとそう言って、巽の目をじっと見つめた。
正直なところ、自分の気持ちを口にしたことがあまりにも恥ずかしく……目を閉じて巽の反応を待ちたいところだけど、それは、だめだと自分を励ます。
「プ、プロポーズするつもりで、今日、演奏を聴きに行ったの」
「やっぱりプロポーズ、なのか?今の�独身最後の�っていうのは」
意外にも、巽は平然とした様子でそう言うと、くくっと小さく笑った。
呆れているような驚いているような、そんな笑い声だ。
「俺は長い間由梨香といるから理解できたけど、『独身最後の』って言葉でプロポーズなんて、普通気づかないぞ?」
どこがおかしいのか、巽は肩を震わせている。
「笑わないでよ。私には精一杯の言葉なのに」
「悪い悪い。まあ、由梨香がどうして内川さんにチケットを頼んだのかはわかった。独身最後の俺の日本での演奏を聴きたかったんだよな。で、仕事を辞めるのも、了解。これからは俺が由梨香の財布になってやる。安心しろ。これでも結構稼いでるから、とはいっても将来は謎だけどな」
「謎じゃない。たしかにどうなるかわからないけど、巽なら、なんとしてでも音楽で生きていくでしょ? そのあたりは心配してない」
「そっか」
巽は私の髪をそっと梳き、そのまま私の体を抱きしめた。
そして、顔を私の肩口に乗せると、くぐもった声でつぶやいた。
「プロポーズの後で悪いけど、追加公演が来月あるんだ」