春風駘蕩



「た、巽、どこに行くの?」

エレベーターで一階に降り、足早にロビーを駆け抜ける時も、巽は私の手を離さない。

つかまれた手首は痛むし、打ち合わせだからと気合を入れておしゃれをした私の足は普段履かない7センチヒールに包まれている。

カツカツと響く音はなかなか格好良くて、デキる女性のようだけど、現実は足が痛くて今すぐにでも脱いでしまいたい。

ゆっくり歩こうよと思いつつ、巽の勢いに気圧された私は、何も言えないままビルを出た。

そして、巽は目の前の大通りでタクシーを止めると、私を後部座席に押し込めた。

「ちょっと巽、どこに行くの?」

座席の奥に体を落ち着け、息を整えながら巽を見れば、「北区役所まで」と運転手さんにお願いしている。

「巽? ほんとに今から届けを出すの?」

「そう。早くこうしておけばよかったんだよな。高校を卒業した時とは言わないけど、日本に拠点を移して再会してすぐとか。あー、もったいなかった」

フロントガラスの向こう側を見ながら、巽は悔しそうに顔をしかめている。

その表情もまた、ただただ格好良く、眼福だ。

子供みたいに拗ねている様子もかわいらしい。

「届けと必要な書類はちゃんと持ってるし、今日中に由梨香は『市川由梨香』になるんだ」

「そうか……、市川……」

まさか今日入籍すると思っていなかった私は、この状況を理解するだけで精一杯。

何も言えず、ただ頷くだけだ。



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