intoxication
「今度は何されたんだ」

「ずっ、・・・部屋に、女がいて、泣いて、怒ったら、ガラスの、コップ、投げられた・・・」

「あはは。ついにモノ投げられたのか」


一槻はどうってことない感じであたしの方へ歩み寄ると、涙と鼻水でべとべとになったあたしの手を取った。

ケガはないか、と尋ねるように、あたしの手をくるくると見回す。

ちらりと覗き込むように与えられた視線に、大丈夫だと返した。


「あーあーもう、仕返しならあの男に投げつけなきゃ意味ねぇだろ」


あたしの手には傷一つついていなくて、一槻の視線はシンクで割れたグラスに、それからあたしの方に。

あたしのことをちょっとばかにするみたいに薄い笑みを浮かべた一槻からは、いつもと同じ優しい匂いがした。


「いつ、」

「は、あ、い。・・・なんだよ」

「いつきぃ」

「ったく。お前は。今年で何人目だよ」

「しらない」


ぐっと俯いたあたしに大股で近付いた一槻は、大きく両手を広げてあたしを包んだ。

カウンターの中で時間が止まる。

浅い心拍数に身体を預けて、そのまま鼻水も預けて。


「鼻水付けんなよ馬鹿。男見る目無さ過ぎなんだよチビ」

「うるさい・・・独身オトコ・・・」

「ほっとけ。お前、俺の胸で泣こうなんざ、一分千円だからな」

「ぼったくりだぁ・・・」


優しい感じではない雰囲気に、目に少し掛かる前髪と無精ひげ。

一槻は幼馴染とか同級生とかそういうのではない。

ここは一槻が念願建てた自分のバーで、一槻はマスターで。

今年で33歳になる彼女のいないさびしい独身オトコ。


出会ったのは本当に偶然で。

話すと長くなるから話さないけど。


一槻は、女なんて面倒だというのが口癖だ。

あたしが彼女だの結婚だのを話題にすると決まってそう言う。

だけどあたしは知っている。


一槻が前にこのバーのこのカウンターで、お酒を飲みながら泣いていたこと。

一枚の写真と、きらきらした青色のお酒を手に、泣いてたこと。

あたしが一槻の涙を見たのは、後にも先にもあの時が最後だ。


あの人がきっと、一槻の好きな人。

あの人がきっと、一槻が恋人を作らない理由。


一槻は一度だってわたしのことを女として見たことなんてないんだろう。

自分の家に懐いた野良猫とぐらいしか思っていない。
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