素直の向こうがわ【after story】
――あの後。
カーテンで仕切られた向こうに人の気配を感じながらこっそりキスをした。
私の中ではかなり大胆なことをしたと今でも思い出すと顔が熱くなる。
片腕しか自由にならないくせに、がっちりと私の頭を掴み、私を動けなくして。
気付かれないように、息を潜めてキスをした。
それは、まるで二人でした初めてのキスのようにドキドキと心臓を震わせた。
でも、それからすぐに看護師が来て、慌てて徹から離れた。
「あれ? あなた、管理栄養部の松本さんよね。河野先生の知り合い?」
その看護師は、以前病院食の献立を決める会議で一緒になったことのある人だった。
「あ、はい」
今の今までしていたことを思うと必要以上に焦ってしまって、怪訝な顔をされてしまった。
それなのに、何食わぬ顔をしてベッドに腰掛けている徹が少し恨めしい。
「恋人です」
その上、平気な顔してそんな告白までぶち込んで来た。
「ちょっ――」
「え? 河野先生の? あら、いいこと聞いちゃった。毎日朝から晩まで仕事に忙殺されてるっていうのに恋人作る時間はあるなんて、さすが有能な研修医はやることが違うわね」
40代後半くらいと思われる、少しふくよかな柔らかい雰囲気をもつその人が私たちを交互に見てにっこりと笑う。
その姿に、私は一人どぎまぎとしてしまった。
「そんな時間ないですよ。彼女は高校からの同級生です」
無表情で答える徹に構わず、ますます喜々として質問を繰り返して来た。
「そうなの? え、じゃあ、だから一緒の病院に?」
「え、あ、まあ……」
今度は私に向けられた質問に、答えを言いよどむ。
余計なことを言った徹を軽く睨んだけれどとりつくしまもない。
「素敵な話聞けちゃった」
嬉しそうに目を細められても、私は苦笑いするしかなくて。
それでも徹は無表情のままだった。
ほんと、この人……。
さっきまでの徹と今目の前にいる徹が同一人物だとは思えない。