黒騎士は敵国のワケあり王女を奪いたい
肩を大きく上下させるギルバートが、人質に取られたフィリーを見て手を止める。
「殿下の言うことに従って、ギルバート。お願い」
フィリーが震える唇で囁くと、戦場に沈黙が落ちた。
波の寄せる音だけがする。
ギルバートがゆっくりと剣を持ち上げ、手の届かないところへ放った。
隣に立っていたロジャーがマスケット銃の撃鉄を起こす。
「やめて!」
マリウスの剣が肩をかすめるのにも構わず、フィリーはロジャーの腕に掴みかかった。
銃声が静寂を切り裂き、木の幹を貫く。
「くそ!」
ロジャーに突き飛ばされ、雪の中に手をついた。
ドレスの裾に躓きながら起き上がり、ギルバートのそばへ走る。
ギルバートは腕を広げてフィリーを受け止めた。
フィリーが悲鳴を上げる。
恐ろしいことに、ギルバートの腹からは赤黒い血がとめどなく溢れていた。
「なんて怪我なの、ギルバート!」
黒い衣装のせいで、遠目では気がつかなかった。
ギルバートがマントの裾を裂き、悪態を吐きながらフィリーの肩の擦り傷を止血する。
「なんてことするんだ、あのくそ野郎! 真二つに叩き斬ってやる」
よく見ると、ギルバートのこめかみには汗が伝い、黒い髪が血で固まって張りついている。
呼吸は荒く、止血する間も左腕はほとんど動いていない。
指先は氷のように冷たかった。
フィリーの鼓動が速くなる。
ギルバートはなぜこれほどの怪我をして、まだ立っていられるの?
「フィルはどこ? 本当にひとりで来たのね、オスカーたちに怒られるわ。もういいのよ、ギルバート。お願いだから死なないで」
きっと近くにギルバートの黒馬がいるはずだ。
一刻も早く砦へ連れ戻してもらわなくては。