黒騎士は敵国のワケあり王女を奪いたい
まぶたを上げた瞬間、フィリーは声を上げて泣きたくなった。
ギルバートの美しい鼻梁や濡れた唇の端まで、フィリーの煤が汚している。
ふたりが犯したことの罪深さが男の顔に刻まれていた。
ギルバートの指先が、フィリーの乱れた前髪をそっと直す。
「部屋に戻って着替えるといい。侍女を行かせる」
掠れた声をつむじに押しあてられ、フィリーは何度も頷いた。
顔を真っ赤にして、遠慮がちにギルバートを見上げる。
「あの……あなたも、その……」
「ん? ああ」
ギルバートは頬についた煤を拭うと、口の端を持ち上げて笑った。
「きみのせいだな」
羞恥に固まるフィリーの腕を引いて廊下を進み、客室に押し込む。
片手でドアを閉めながら、しまいには額にキスを残していった。
フィリーは膝を抱えてうずくまる。
恋をしてはいけないと知っていた。
あの人にだけは。
でもギルバートはフィリーにとって、たったひとつの現実だ。
波間に漂う泡沫の夢の中で、ギルバートだけがフィリーの心臓を強く揺らすことができる。
抗いたくない。
たとえ胸を刺されるような痛みとわかっていても、その棘がフィリーを永遠につなぎとめてくれるなら。
ギルバートを知らなかった頃にはもう戻れなかった。
ためらいがちなノックの音で、フィリーはパッと立ち上がった。
きっとカミラだ。
フィリーの顔に煤がついているのはなにも不自然ではないのに、慌てて頬を拭う。